ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅦ (ディジョン③) [海外@ブルゴーニュ2011]
ブルゴーニュの旅の続きです。
ディジョンの滞在も最終日、夕方にはTGVでパリに戻らなければなりません。
まずは朝食です。
朝食後最初に訪れたのはホテルから歩いて2~3分のところにある10世紀に建てられたベネディクト派の修道院を
改造した考古学博物館です。なんと無料です。
建物も庭の木々も歴史を感じさせてくれる考古学博物館に相応しい佇まいでした。
春の足音 [四季]
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅥ(ボーヌ⑦) [海外@ブルゴーニュ2011]
ボーヌの最終回です。
ノートルダム教会を出た後は、ディジョンへの帰りのバスの時間に合わせて町をぶらぶらと散策です。
フランスは普通のスーパーマーケットもありますが、まだまだ個人商店が頑張っています。
1回は食べたいと思っていたのですが、食べそびれてしまったエスカルゴです(>_<)
お菓子屋さんのディスプレー。
写り込みがあって見難いのですが、ヌガーのようです。
たくさんの種類があってびっくり。
日本ではこんなに大きくてケーキのような
ヌガーをほとんど見ることはありませんね。
大体一口サイズだと思います。
ふと見上げるとニコラ・ロラン(オテル・デューの創立者)のだまし絵です。
こちらは奥さんでしょうか。町を歩きながら楽しめますよね♪
ちらっと見えたテントっぽい赤と白の屋根はメリーゴーランドのようですね。
夏のヨーロッパでは街中でよくこのような移動遊園地を見かけます。
城壁のとんがり屋根が可愛らしいなと思って近づいてみると屋根からお花が咲いていました。
ここの城壁には上ることができませんでした。上れると町が見渡せて凄く眺めがいいのですが・・・残念無念。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅤ(ボーヌ⑥) [海外@ブルゴーニュ2011]
ランチを終えた後、観光案内所のお兄さんお勧めのノートルダム教会を訪ねてみることにしました。
レストランを出て振り向くと丁度真正面でした。
通りを横切る時に向こうにオテル・デューの屋根がちらりと見えました。
ノートルダム教会は木彫りの扉が見事。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅣ(ボーヌ⑤) [海外@ブルゴーニュ2011]
オテル・デューの見学の後は、お楽しみのランチです!
今回の旅行の中では雰囲気のある一番のレストランでした。
ボーヌには、ソーリューにある三つ星のレストラン「ル・ルレ・ベルナール・ロワゾー Le Relais Bernard Loiseau」の
セカンド店「ロワゾー・デ・ヴィーニュ Loisearu des Vignes」があり、三つ星はさすがに敷居が高くて入れませんが
そのセカンド店ならまぁ大丈夫だろうと、姪っ子に予約をお願いしました
レストランはオテル・デューから歩いてすぐのところにありました。
フェルメールからのラブレター展 [美術鑑賞]
1月9日の成人の日、昨年末から渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている
「フェルメールからのラブレター展」に行ってきました。
展覧会って、始まったばかりまだまだ先があると思っているうちにもう会期末ということがよくあります。
といって「フェルメール」は絶対外せないので、兎に角早目に行くのが一番です。
開催されてからまだ2週間ちょっとだったので祝日の昼間でしたが、それほどの混雑はなく
暫く待てば最前列でじっくりと絵を鑑賞することができました。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅢ (ボーヌ④ オテル・デュー その3) [海外@ブルゴーニュ2011]
「最後の審判」 暫く粘ったのですが、人が引っ切り無しで絶えず、人が写らない写真が撮れませんでした(>_<)
オテル・デューの最終回です。衝立画(ポリプティック)とタペストリー、家具をご紹介します。
聖ルイの部屋の奥の小部屋に展示されていた衝立画「最後の審判」は、オテル・デューの創設者である
ロマン・ロランが、フランドルの画家、ロジェ・ヴァン・デール・ヴェイデンに描かせたもので、
当初は「貧しき者の広間」のチャペルの祭壇上部に飾られていました。
病人たちが見ることができるのは日曜日と祝祭日だけでした。
(衝立画とは屏風のような開閉式の絵画のことのようです。15世紀頃の祭壇は自由に開閉できるようになっていて、
日曜日や祝祭日に扉を開けて内側の絵を礼拝したそうです。)
「最後の審判」を題材とした絵画はたくさんにありますが、この絵も大変見応えのあるものでした。
天秤ではかっているところが何ともリアルな感じで、日本でいえば、差し詰め「三途の川」の場面かな?と
思ってしまいました。
最後の審判の解説です。↓
こちらは↓、この施療院を建てたニコラ・ロラン(左)と夫人のギゴーヌ・ド・サラン(右)で、
上の衝立画の閉じた時の絵画です。
同じ部屋に展示されていたタペストリー「千々の花」
(クリュニー美術館にある有名なタペストリー『一角獣と貴婦人』(未見です)を同様のテクニックと色で
再現しているそうです。本物を是非見てみたいものです。)
作品の解説には、傲慢なエロワ(のちの聖エロワ)が自分の馬のひずめを少しでも早くつけようとして
馬の脚を切ってしまったが、元に戻すことができなかったとあるそうです。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅡ(ボーヌ③ オテル・デューその2) [海外@ブルゴーニュ2011]
「貧しき者の広間」を出ると、中庭を囲むように小さなお部屋が並んでいて、見学の途中、
順路通り行くと何度か中庭が見渡せるところ出てきます。
ゴシック式(尖がっているところでしょうか?)の鉄製の枠に囲まれている井戸。
この施療院全体の水源として重要な役割を果たしてきたそうです。
↑上の写真を見ていただくとよくわかりますが、回廊は1階と2階の2層式になっていて、
病人の世話をする尼僧たちは天気の悪い時でも存分に働くことができたそうです。
外の通りに面していたのがこちらの黒っぽい屋根の建物で「貧しき者の広間」はこちらの建物にあります。
建物の暗がりの向こうに小さく見えるのが入ってきた入口です。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXI (ボーヌ② オテル・デューその1) [海外@ブルゴーニュ2011]
ブルゴーニュ旅行記に戻ります。
素っ気ない黒い屋根と石壁に囲まれたオテル・デューの門をくぐり中庭に出ると、
目の覚めるようなカラフルな幾何学模様の屋根が目に飛び込んできました。
ブルゴーニュで流行した色煉瓦の屋根の中でも、立派で美しいといわれているものです。
素っ気ない外観は、建設当初盗賊に狙われないためにわざと貧しそうにみせるという
一種のカムフラージュだったそうです。
オテル・デューとは、フランス語で「神の館」と意味の施療院で、もともとは修道院に付随し、
病人や貧しい人たちを救済する目的として礼拝堂や墓地を備えて、尼僧たちが看護にあたっていました。
ボーヌの施療院は、ブルゴーニュ侯爵フィリップ・ル・ボンの宰相のニコラ・ロランによって建設され、
中世から今に至るまでそのままの形で保存されています。
ニコラ・ロランは自分のブドウ畑を寄進し、そこから得られる収入を施療院の運営費に充てていました。
現在もその伝統は生きていて、当時からは縮小されたもののそのブドウ畑から生み出されるワインの
売り上げは建物の修復などに使われています。
冬の日差しの中で@うちの庭 [四季]
皆様、お正月はいかがお過ごしでしたか?
アッという間に三が日が過ぎてしまい、そろそろ通常モードに戻さなければなりません^^;
今日から仕事始めという方も多いと思いますが、私の勤め先は今日4日までお休みなので、
4日は毎年軌道修正日なっています(笑)
今うちの庭では水仙の花が盛りです。
水仙の独特の香りがほんのり漂ううちの庭です。