灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXVIII (パリ2日目~アミアン④) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
アミアンのノートルダム大聖堂の内部の後半です。
この門の向こうは入ることができなかったので、柵の間から撮りました
金細工も見事でした。
金細工に黒は、ナンシーのスタニスラス広場にあった門を彷彿させてくれました。
聖歌隊席(或いは司教座聖堂参事会?)の手すりの部分の施された彫刻がもう素晴らしかったです。(パネル3番)
聖書の登場人物4000人もの姿が彫られているそうです。
こちらにもパネルの写真を貼っておきます。
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXVII (パリ2日目~アミアン③) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
それでは、大聖堂の中に入ってみましょう。
フランス・ゴシック最大と言われるだけあって天井が高いです。一番高いところで42.3mあるそうです。
42.3mといっても一体どれ位なのか想像がつかないですよね。
ネットで調べてみたのですが、30mでオフィスビルだと7~8階建、マンションだと10階建だそうですので、
42mだと10階建以上は確実ですね。それがどどど~んと吹き抜け状態となっています。
入口近くにパネルがあり、教会の見どころのようです。最低これだけは外さないように見学しなければ^^
前回の記事で、大聖堂でもらったパンフレットを参考に、完成まで68年と書きましたが、
大聖堂内にあったパネルによると、後に建てられて部分もあるようです。
アミアンの大聖堂は、大変珍しいことに、フランス革命や二度の世界大戦において損害を免れたとのことですので
小さな修復はあるでしょうが、大々的な修復はしていないのではないかと思われます。
入口を入ってすぐ後ろを振り返ると、立派のパイプオルガンです。上のパネルの5番ですね。
上には薔薇窓です。
少し離れて撮るとこんな感じです。
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXVI (パリ2日目~アミアン②) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
アミアンのノートルダム大聖堂は、1220年にエヴラール・ド・フイヨワ司教によって
大聖堂の礎石が据えられ、1288年に竣工したそうです。
大聖堂が完成するには何百年と掛かっていることが多いのですが、
アミアンは68年と短期間で完成していています。
というのは、この新聖堂は1206年に獲得された洗礼者ヨハネ(イエスに洗礼をした人)の「頭部」を
迎えるために築かれたそうで、多くの巡礼者が訪れ巨額の資金が得られたからのようです。
(大聖堂でもらったパンフレットによる)
通りの向こうに見えていたのはアミアンのノートルダム大聖堂の南側部分です。
遠くから見るとひとつひとつがかなり尖がっているように見えた尖塔も
近くで見ると尖塔の寄せ集めにようになっていて、かなり大きさがありました。
屋根裏部屋?と思われるところにつけられた窓が、絵本出てくるお家の窓のように見えました。
二つ並んでいるところが可愛らしいですよね。
南扉口です。
タンパンの彫刻。
タンパン下、扉口の中央には「黄金の聖母」です。
かつては名前の通り輝きを放っていたであろうという感じが窺えます。
ここのガーゴイルは下からみるとちょっと傾きがあって隣のガーゴイルとおしゃべりをしているようです。
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXV (パリ2日目~アミアン①) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
ムール貝をお腹いっぱい食べた後、姪っ子と分かれ、私はホテルに戻ったのですが、
モロッコからパリに戻ったという気の緩みもあったと思うのですが、暑さと疲れで、
部屋のエアコンを付けっ放しで寝てしまったのです。
夜中にハッと気が付いて起きると、あれっ、ノドが変、 やばっ
私が風邪を引くときの第一歩はまずノドからなのです。
慌てて手持ちの薬を飲み、ノドには痛みを緩和する薬を塗って寝たのですが、
翌朝起きたところ、治っているどころかやや進行している感じでした。
とはいうものの、その日は世界遺産に登録されているフランス・ゴシック最大の聖堂と言われている
アミアンのノートルダム大聖堂を姪っ子と一緒に見学行く予定で、既に列車のチケットも買っていたのです。
まぁ、その時点ではノドの痛みだけで、食欲もあったし、体の方は何ともなかったので、もちろん出掛けました。
アミアンへ行く列車は北駅から出ます。
8時28分発のアミアン行きです。
北駅の構内に珍しいものが置いてありました。ピアノです。嬉しいことにヤマハのピアノでした。
誰でも自由に弾いていいそうです。いつもあるわけでなく期間を区切っておいてあるとか。
ただ、余程自信がないとこんなところで弾けないですよね^^
カップルの待ち合わせ場所になっていました。
彼女が来るまで彼はピアノを弾いていて、弾いているところを撮ろうと思った瞬間彼女の出現でした^^
乗った列車はこれ。
構内の雰囲気が映画の一場面のようでした。
この列車にはコンパートメントの車両が連結されていて、モロッコで乗ったコンパートメントが意外と良かったので、
コンパートメントの車両に乗りました。
出入り口近くのコンパートメントは席が撤去され、自転車置き場になっていました。
この車両は2階建てで新しいものですね。
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXIV (パリ1日目~ジヴェルニー④) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
ジヴェルニーの最終回です。
モネの庭園の見学の最後はモネの家です。
ただ、残念ながら、家の中は撮影禁止になっているので 写真は窓からの眺めだけです。
家の中の様子はこちら モネの庭園の公式HPで覗くことができますのでご覧くださいね。
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXIII (パリ1日目~ジヴェルニー③) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXII (パリ1日目~ジヴェルニー②) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
モネのジヴェルニーの庭園は大きく二つに分かれていて、ひとつはモネの家があるところ、
そしてもうひとつが、あの有名な睡蓮の絵のモデルとなった庭園です。
まずはモネの家のある庭園の方から見学しました。
庭園に入った途端に様々なお花が咲き乱れいる様子が目に飛び込んできました!
お花の名前が分からないものばかりで、写真の羅列になってしまいますが(^^ゞ
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXXI (パリ1日目~ジヴェルニー①) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
姪っ子とメトロのリヨン駅のホームで待ち合わせ、ジヴェルニー行きのバスが出ているヴェルノンへ行くため
列車が出発するサン・ラザール駅へと向かいました。
モネが晩年を過ごした村として知られるジヴェルニーのモネの家と庭園は、
通年ではなく、お花の咲く季節の4月1日~11月1日の間だけ開園しています。
↑ 上から2つ目がヴェルノン(Vernon)です。
ヴェルノン(Vernon)までは列車によって多少違いますが、パリのサン・ラザール駅からおおよそ50分程です。
列車の到着に合わせて、ヴェルノンの駅前からジヴェルニー行きのバスが出ます。バスで20分です。
SNCFは地方ごとに列車に特色があり、どちらかといったらカラフルな色合いが多いです。
これはノルマンディー地方の列車です。
灼熱のモロッコ~フランスの旅 XXX (パリ1日目) [海外@モロッコ・フランス2014夏]
まだ松の内なのでまだしめ飾りも飾られていて、スッキリとお正月気分が抜けたわけではありませんが
昨日からまた日常が戻ってきました。
さてさて、昨年の旅日記の続きです^^;
モロッコからパリ戻り、ようやく暑さから解放されるかと思ったのですが
翌朝起きると、朝から真夏の太陽が照り付けいます。
ほんの数日前のモロッコに旅立つ前のシャルル・ド・ゴール空港でのどんよりとした寒空は
一体なんだったのでしょうか?パリの気候の変化の激しさ、全く信じられなかったです。
この日はホテルで朝食。
ちょっとボケちゃってますが、パリの3つ星クラスのホテルの一般的な朝食です。
あとハムとチーズがありました。
この日はお昼前からモネの睡蓮のモデルとなった庭園があるジヴェルニーに姪っ子と一緒に行く予定なので
その前にお水などの買い出しです。前夜、いつも利用していたスーパーが店内改装なのか閉まっていたので
散歩がてら別のお店を探しに行くことにしました。
2015年新春日記 [あれこれ]
年が明けたと思ったら、アッという間にお正月三が日は過ぎ、年末年始のお休みもあと1日となってしまいました。
皆様はどのような三が日をお過ごしでしたか?
昨年夏の旅日記、フランス編に突入する前に今年のお正月のまとめです。
2015年元旦(木)
例年通り、家の近所の神社へ初詣。
朝は快晴だったものの、段々と雲が出てきてしまい、お参りする頃はどんよりとした曇り空。
強い寒波の影響で冬型の気圧配置となり、 午後は時折雪が舞うお天気となりました。
1月2日(金)
玉川高島屋SC初売りへ。開店前から人も車も行列
まっ、それなりに収穫があってホクホク顔で帰宅(*^^)v
1月3日(土)
食べてばっかりで体も重くなった感じだったので、久しぶりにひと泳ぎしようとHPを確認して、
スポーツクラブへ行ったのですが、なんか閑散としているじゃないですか
どうやら見間違えてしまったようで今日まで休みで、明日からでした(>_<)
年齢と共にこんなことも多くなって・・ションボリ。
仕方ないので家に戻り、気を取り直して、3時過ぎから等々力不動へお参りに行くことに。