情熱の国スペインの旅 72(第9日目その4 カテドラル前編) [海外@スペイン2017夏]
コロニア・グエルからバルセロナに戻り、一緒に行ったツアーの人たちも
今度は各自の行きたいところへと散り散りになりました。
今度は各自の行きたいところへと散り散りになりました。
私は買物をして荷物が増えたので一旦ホテルへと戻りました。
ツアー代金の高い安いはホテルの立地も大きいです。
以前、ウィーン、チェコ、ハンガリーを回った時にはツアー代金は安かったのですが
どこもホテルが市街地の中心部から外れていて、一度戻ったらもう外出する気力がなくなって
しまう場所で、その時こういうところがツアー代金に反映されるのだなと身をもって感じました。
今回は少し高めだったこともあって、繁華街のグラシア通りに近く、地下鉄の駅にも近かったので、
気軽にホテルに戻ることができました。
ツアー代金の高い安いはホテルの立地も大きいです。
以前、ウィーン、チェコ、ハンガリーを回った時にはツアー代金は安かったのですが
どこもホテルが市街地の中心部から外れていて、一度戻ったらもう外出する気力がなくなって
しまう場所で、その時こういうところがツアー代金に反映されるのだなと身をもって感じました。
今回は少し高めだったこともあって、繁華街のグラシア通りに近く、地下鉄の駅にも近かったので、
気軽にホテルに戻ることができました。
誕生日ランチ 42 (アロマフレスカ)@銀座 [美味]
昨日、今日とモーレツな暑さとなった東京地方です。
先日、一旦エアコンが必要ない程涼しくなっただけに暑さが身体に堪えます。
今日の昼間1時頃から30分ほど、お店に入るために日当たりの良い駐車場に車を停めました。
用事を済ませ戻って運転しようとしてエンジンを掛けると、なんと車のインパネある温度計は
今まで見たことない気温「41.5℃」を表示していました。暑いはずです。
バルセロナの続きがあるのですが、昨日恒例の誕生日ランチ会(今回は8月生まれのMさんです。)が
あったので今日はその記事です。
あったので今日はその記事です。
場所は銀座。
誕生日ランチ会で何度もリピした「サーラ・アマービレ」の系列店「アロマフレスカ」です。
同じ階にあります。「アロマフレスカ」もイタリアンなのですが、「サーラ・アマービレ」よりも
ちょっと高級感のあるお店となっています。
誕生日ランチ会で何度もリピした「サーラ・アマービレ」の系列店「アロマフレスカ」です。
同じ階にあります。「アロマフレスカ」もイタリアンなのですが、「サーラ・アマービレ」よりも
ちょっと高級感のあるお店となっています。
↓こっちです^^
トップの画像は、「アロマフレスカ」のレストランの中央に置かれていたお花。
ひまわりが8月のお誕生会に相応しく、まさしく、花を添えてくれました。
ひまわりが8月のお誕生会に相応しく、まさしく、花を添えてくれました。
情熱の国スペインの旅 71(第9日目その3 外から見たコロニア・グエル教会) [海外@スペイン2017夏]
コロニア・グエル教会を外側から眺めます。
ステンドグラスの部分は外側にはグエル公園で見たモザイクと同じようなモザイクが施されていました。
↑窓の傍に施された「A」はシンボル表現とか?アントニ・ガウディの「A」?
↓ココにも「A」 。
↑とかげらしきものもも張り付いていますね
屋根に当る部分に上がることができるので上がってみました。
情熱の国スペインの旅 70(第9日目その2 コロニア・グエル教会の内部) [海外@スペイン2017夏]
さて、コロニア・グエル教会ですが
1989年にグエルがガウディに教会の建設を依頼したのですが
ガウディは長期間に亘り実験的な構造研究に取り組んだため、
実際に建設し始めたのは約10年後の1908年からだったそうです。
1989年にグエルがガウディに教会の建設を依頼したのですが
ガウディは長期間に亘り実験的な構造研究に取り組んだため、
実際に建設し始めたのは約10年後の1908年からだったそうです。
向って右の部分には待合所のようなところが設えてありました。
入口の上にはグエル公園と同じような、タイルのモザイクが施されています。
天井は交差ヴォ―ルトになっています。
ところが着工してから6年後、ガウディがサグラダ・ファミリアに専念するため
建設を中断することになってしまい,グエルは教会の建設を息子たちに委ねるものの
関心を示さなかったので,当初の予定では上側、下側の二つの身廊がある教会となるはずだったのが、
今教会となっている下側の身廊のみが出来上がっただけで未完成に終わってしまったとのことです。
情熱の国スペインの旅 69(第9日目その1 コロニア・グエルへ行く) [海外@スペイン2017夏]
第9日目です。
帰国日を翌日に控え、この日は1日自由行動だったのですが
コロニア・グエルに行きたいという希望者が多かったので、
添乗員さんが連れて行ってくれることになりました。
バルセロナのホテルの朝食もビュッフェスタイルでしたが、パン、ハムやチーズの種類が豊富でしたし
もちろんスパニッシュオムレツもあってよかったです。
自由行動の日は昼食が決まっていないので、朝食をしっかりと食べて出発です。
情熱の国スペインの旅 68(第8日目その8 夕食はカサ・ミラで) [海外@スペイン2017夏]
2つほど最近の記事を挟みましたが、再び昨年のスペイン旅行の旅行記の記事に戻ります。
バルセロナの1泊目の夕食は、カサ・ミラの中にあるレストランでした。
この食事がツアーの皆でする最後食事でした。
この食事がツアーの皆でする最後食事でした。
カンティーナシチリア―ナでオフ会 [ソネブロ]
13日月曜日、札幌単身赴任中の雅さんの夏休みの帰省に合わせていつものメンバーでオフ会です。
(雅さん、ake_iさん、リュカさん、kouさんそして私)
(雅さん、ake_iさん、リュカさん、kouさんそして私)
この5人のメンバーで会うのは去年の夏休み以来1年振り。1年経つのが早い!
私は5月の下旬に北海道へ行った時に雅さんに会っているので3か月ぶりの再会でした。
私は5月の下旬に北海道へ行った時に雅さんに会っているので3か月ぶりの再会でした。
今回のお店はkouさんが見つけてくれた1軒で、シチリア料理のお店「カンティーナシチリア―ナ」。
お店に入ると、1階はバーカウンターのようになっていて2階の方に案内されました。
お店に入ると、1階はバーカウンターのようになっていて2階の方に案内されました。
まずは久しぶり~ということで生ビールで乾杯です。
最初の頼んだ前菜。
パルマ産生ハムプロシュート・・・美味しい、ビールが進みます。
メニューに「シチリアといえば・・・」とついていたのでチョイスしたのがオレンジのサラダ。
そのままでした(笑)
そして、やっぱり「オリーブ」でしょう。ツマミながら飲むのにちょうどいいです。
藤田嗣治展と香香@上野 [美術鑑賞]
リュカさんの記事で東京都美術館で「藤田嗣治展」が始まったことを知って
7月8月は通常の有給休暇とは別に夏休み(3日間)が取れるのでそれを使って
珍しく早々に(8月10日午後)行ってきました(笑)
7月8月は通常の有給休暇とは別に夏休み(3日間)が取れるのでそれを使って
珍しく早々に(8月10日午後)行ってきました(笑)
今回は没後50年の大回顧展。
初期の頃から晩年フランス国籍を取得してレオナール・フジタとして亡くなるまで(追記)の作品が、
欧米の主要な美術館から集められて展示されています。
初期の頃から晩年フランス国籍を取得してレオナール・フジタとして亡くなるまで(追記)の作品が、
欧米の主要な美術館から集められて展示されています。
藤田は裸婦などの人物画の方が有名ですが、今回観て特に印象に残ったのは「静物画」でした。
藤田の出世作と言われる「私の部屋、目覚まし時計のある静物」。
藤田の出世作と言われる「私の部屋、目覚まし時計のある静物」。
藤田は蚤の市とかで買い集めた静物を描いていたそうですが
私が気になったのは壁にかけてあるカンペール焼のお皿です。
私が気になったのは壁にかけてあるカンペール焼のお皿です。
展覧会の最初の方で、宗教的な絵画、ブルターニュに行った時に描いた
カルヴェール(野外にある十字架や人物の石像彫刻)の風景があり、
私もブルターニュを旅したことがあったので懐かしく想い出され、
この静物画を見て、あ、その時に買い、部屋に飾っていたのかな?と思ったのです。
もうひとつ、このバラの絵も気に入りました。
この二つの作品は藤田の代名詞ともいえる「乳白色の下地」が使われているところも
気に入った点です。
え、これってボッチチェリじゃない?と思ったら、
絵画の脇の説明文に参考にしたようなことが書いてあったのがこちら「優美神」。
絵画の脇の説明文に参考にしたようなことが書いてあったのがこちら「優美神」。
今まで見たことがなかった、使われている色が全然違う中南米やアジアへの旅で描かれた絵画や
日本を脱出するきっかけとなった戦記記録画も展示されていました。
日本を脱出するきっかけとなった戦記記録画も展示されていました。
東京では会期が10月8日までですので、ご興味のある方はお早目にどうぞ。
東京都美術館来るとついこの前で写真を撮ってしまいます。
東京都美術館来るとついこの前で写真を撮ってしまいます。
情熱の国スペインの旅 67(第8日目その7 バルセロナは街並みもアート!) [海外@スペイン2017夏]
サグラダ・ファミリアの観光を終えた後はバスに乗りホテルに向かいます。
ホテルはバルセロナのシャンゼリゼと呼ばれるグラシア通りの近くです。
ホテルはバルセロナのシャンゼリゼと呼ばれるグラシア通りの近くです。
グラシア通りは19世紀以降に拡張された新市街にあります。
19~20世紀、フランスのアールヌーボーなどの新しい芸術形式がヨーロッパで盛んだったころ
バルセロナを中心にその装飾性が似ているところからカタルーニャ版アール・ヌーボーと呼ばれる
モデルニスモが流行。丁度その時期に行われたバルセロナの都市改造には、ガウディをはじめとする
モデルニスモの建築家たちがかかわり、街には彼らの多くの作品(建築物)が現在も残され、
特にグラシア通りにはモデルニスモ建築が建ち並び、モニュメントのようになっています。
まず見えてきたのが、ガウディのカサ・ミラ(ラ・ペドレラ)。(トップの写真もそうです)
集合住宅として建てられました。
「ラ・ペドレラ」というのは愛称で、「石切り場」という意味ですが、
ファサードが石の塊のようだったことから名付けられたとのこと。
「ラ・ペドレラ」というのは愛称で、「石切り場」という意味ですが、
ファサードが石の塊のようだったことから名付けられたとのこと。
曲線が見るからにガウディっぽいです。
情熱の国スペインの旅 66(第8日目その6 サグラダ・ファミリアⅢ) [海外@スペイン2017夏]
見学の最後に鐘楼に上りました。
エレベーターで。自力で上ってみたい気もしますが(笑)
エレベーターで。自力で上ってみたい気もしますが(笑)
向こうに見える丘は、バルセロナ・オリンピックのメイン会場となった
標高173mのモンジュイックの丘です。
向かって右の方に見える建物が、カタルーニャ美術館ですね。↓この辺り。
ガウディは、サグラダ・ファミリアをバルセロナで最も高い建物にしたいと願っていて、
この目標を達成するため、この教会でもっとも高い塔となるイエスの塔を172.5メートルの
高さに設定したそうです。この高さは、サグラダ・ファミリアがその当時の世界で最も
高い宗教建築となると同時に、市内で最も高いモンジュイックの丘に数メートル及ばない値でした。
それは、人間の造る建物が神の創造物(モンジュイックの丘)を越えてはならないという考えに
沿ったものだったとか。
高さに設定したそうです。この高さは、サグラダ・ファミリアがその当時の世界で最も
高い宗教建築となると同時に、市内で最も高いモンジュイックの丘に数メートル及ばない値でした。
それは、人間の造る建物が神の創造物(モンジュイックの丘)を越えてはならないという考えに
沿ったものだったとか。
向って左方向、地中海が見えまーす。
ここに上ると、まだ工事中であることを実感します。