イタリア旅行2006 ミラノ② [海外@イタリア2006]
スフォルツェスコ城です。(ちょっと画像が傾いていますが(^^ゞ)
14世紀にミラノを支配したヴィスコンティ家が建てた居城を15世紀にスフォルツァ家が
堅牢な城塞として改築したそうです。城壁に囲まれています。
古くはミラノの街自体もお城を取り囲むように城壁で囲まれていました。現在ではその城壁は残っていないそうです。
建物の壁面にどこかで見たようなマークが・・・?車のアルファロメオのマーク?と思いきや、
日本に帰ってからよーく見ると十字架とへびが左右逆でした。
お城の中は現在美術館となっています。
イタリア旅行2006 ミラノ① [海外@イタリア2006]
見学の順番は前後するのですが、まずミラノのシンボル的存在でゴシック建築最高傑作といわれているドゥオモから。
修復中で覆いがあるのが残念でしたが、歴史のある古い建築物ですので仕方がないですね。
ここのステンドグラスも見事でした。
イタリア旅行2006 ヴェネツィア [海外@イタリア2006]
イタリア旅行2006 ピサ [海外@イタリア2006]
フィレンツェの次に向かったは、ガリレオ・ガリレイが物理の大発見(内容は聞かないで下さ~い^^;)を
したことで有名なピサの斜塔です。
実はこの↑ピサの斜塔、このブログに以前に登場したことが→こちら
丁度今北海道で行なわれている洞爺湖サミット開催記念の雪像です。
やはりイタリアを象徴する建物としては打ってつけです。
この城壁をくぐると斜塔だけぽつんと建っているのか思っていたのですが、大きな間違いでして
広大な芝生の敷地にフィレンツェと同じように手前から洗礼堂、ドゥオモそして鐘楼(斜塔)が建っていました。
斜塔は建設中から傾き始め、途中でまっすぐになるように反対側に向かって建設したとのことですが、
成功せず結果的には傾いて完成してしまったのですね。
ピサはジェノヴァ、ヴェネチアと並ぶ海運都市として栄え、その莫大な富をつぎ込んでこれらの建物を建てたそうです。
斜塔の見学は予約制で残念ながら見ることはできませんでした。
上まで登るときっと海が見えるのでしょうね・・・
ピサのドゥオモもフィレンツェに負けず劣らず素晴らしい建物でした。
柱やアーチにピサ・ロマネスク様式と呼ばれる装飾彫刻が施されていました。
(2006年6月11日)
イタリア旅行2006 フィレンツェ② [海外@イタリア2006]
フィレンツェの街を象徴する建物です。
左の八角形の建物がサン・ジョヴァンニ洗礼堂、最近日本で話題となったドゥオモ
(正式にはサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂「花の聖母マリアの教会の意味」)、
奥に見えるのがドゥオモのクーポラ(丸屋根)、右の塔がジョットの鐘楼です。
外壁は、白、ピンク、深緑の大理石で見事に装飾されていて、レンガ色のクーポラが映えます。
市庁舎の前のシニョリーア広場から共和国広場を抜けたところにある中華料理屋さんで昼食となりました。
暑かったせいか青島ビールに思わず旨い!
ずっと洋食ばかりだったので中華がやけに美味しく感じられました。
チャーハンだったけど久し振りのご飯も嬉しかったですね。
やっぱり日本人なのね・・なんて思ったりして(^^ゞ。
昼食後、フィレンツェを代表するのドゥオモの見学に。
先週でしたっけ?突如新聞紙上を賑わせた教会です。
私の旅行記に合わせてくれたのかしら、なんちゃって(笑)
サン・ジョヴァンニ洗礼堂
ミケランジェロが「天国の門」と絶賛した洗礼堂の扉。
これもレプリカで、本物はバルジェッロ美術館に。
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
ドゥオモの内部です。24時間時計
ステンドグラス↓↑
何????っと思ったら私たちのツアーの人ではない人が少し前からくっついて歩き回って
説明を一緒に聞いていたので、わざと移動しました、ということでした。
教会の内部は暗く、人は多いですし、ガイドさんの話を聞いていて気を取られている間に
スリの被害になんてことが多いそうです。
ここは下から上まで全て階段でした。上に行くに従って狭くなっていきます。
天井には、最後の審判を題材としたフレスコ画が描かれていました。
絵を見上げているだけでも大変なのに、どうやって描いたのか、信じられません。
物凄く大変な作業だったことでしょう。
画像では見難い思いますが、ひとりひとりの顔の表情まではっきり見えました。
クーポラの上からの眺めです。
目の前にジョットの鐘楼。クーポラよりも少し低いです。ここも最上階まで上がれます。
眼下に広がるフィレンツェの市街地
その後はショッピングへ。
お土産をあれこれ選んだり、カプリで買い損ねた靴を探し回ったりと自由行動を楽しみました。
一度荷物を置きにホテルに戻って、夕食に再び街へ出て、その帰り道に見た
フィレンツェの夕暮れの空です。(夜の9時ごろ)
イタリア旅行2006 フィレンツェ① [海外@イタリア2006]
手前がウフィツイ美術館、塔が立っている建物が現在も市庁舎として使われているヴェッキオ宮殿。
ナポリからユーロスターで、フィレンツェへ移動。車内では、飛行機のように飲み物とお菓子のサービスがありました。
お菓子が美味しかったので、お土産にと思って袋を取っておいて探したのですが、残念ながら見つかりませんでした。
フィレンツェに到着したのが夜9時前(夏時間なので本当の時間は8時前かな?)で、駅から出たところで撮影↓。
この日の夕食は、牛の炭火焼Tボーンステーキ。
確かに味はあったけれども、2年ほど経った今でも硬かったという記憶が残っています。(笑)
翌朝、ホテルから徒歩でウフィツィ美術館を目指します。
個人でも予約することが可能ですので、時間のロスを防ぐためにも絶対予約がオススメです。
ボッティチェッリ、ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ミケランジェロ等のルネッサンスの名画の宝庫と
館内は撮影禁止でしたが、窓から外の景色は撮影可能でした。
ヴェッキオ橋の2階は美術館の対岸のピッティ宮殿まで続いている約1キロほどの長~い回廊、
ピッテイ宮殿
イタリア旅行2006 カプリ島 [海外@イタリア2006]
カプリ島の港が見えてきました。いよいよ着岸です。
海岸沿いには平地がほとんどなく港からすぐに切り立った山になっていました。
もちろん道路もあるのですが、ウンベルト1世広場があるカプリ地区までケーブルカーで登りました。
カプリ島は温暖な気候と美しい景色で古代ローマ帝国の皇帝や貴族からも愛され、
今では高級リゾート地となっています。ブランドショップやちょっと気の利いた可愛らしいお店が
軒を並べていて、ショッピングも楽しむことができます。
普通は敷居が高くて入りにくいブランドショップもリゾート地ではラフな格好で気軽に覗くことができます。
お店も集まっているし、道に迷うことがないので旅行者にとってはグッド!でした。
↓ウンベルト1世広場から見た風景です。
遠く薄っすら見える陸地がたぶんソレント半島です。
見事なブーゲンビリア
宿泊したホテルの外観です。
ウンベルト1世広場から歩いて5分位のところでした。
ホテル内部はクリームイエローと白とグリーンで統一されていました。お花はもちろん生花です。
お部屋から見えた風景。
イタリア旅行2006 ナポリ [海外@イタリア2006]
ポンペイの遺跡を観光したあと、昼食はナポリ名物のピッツァ・マルゲリータ(トマトソース、チーズ、
バジル、オリーブオイルを載せたもの)でした。1889年にナポリを訪問した統一イタリアの王女マルゲリータに
献上されたレシピだそうです。
レストランで飲んだキリストの血と呼ばれるワインが美味しくて、また瓶も素敵だったので、
お土産用に購入したのですが肝心の写真を撮っていなくて残念!こんなんばっかりですが(>_<)
昼食後はナポリ市内をバスから車窓見学~そしてその日の宿泊地であるカプリ島へ。
ガイドさんの話によると、ナポリ市内は以前よりも随分治安がよくなったけれども、
冗談ではなくてすぐに凶器とか出てきてしまうそうで、ツアーで何かあったら大変なので
バスに閉じ込められたって感じでした。
最近は治安が良いとされている日本も物騒なことが多くなりましたが・・・。
卵城(牢獄として使用されていた)
ウンベルト1世のガレリアの入り口
ウンベルト1世のガレリア
ナポリの市内の様子。港町だからでしょうか下町っぽい雰囲気ですね。
そしてナポリの王宮。
(2006年6月8日)
イタリア旅行2006 ポンペイの遺跡 [海外@イタリア2006]
ローマを後にして次に向かった場所は、ポンペイでした。
このイタリア旅行に行くツアーを選ぶ段階で外せなかったところのひとつがこのポンペイの遺跡でした。
私が中学生の頃、某公共放送で不定期にBBCが制作したロックのライブ映像を放送していて
よく見ていたのですが、その中で今でも印象に残っているのが、ピンク・フロイドが
この遺跡の大劇場で演奏しているものです。観客はいませんでしたが、
遺跡にどど~んと大きな機材や楽器が置かれ、不釣合いと思いきや
ピンク・フロイドの音楽と遺跡が妙に合っていて、いつか行ってみたいとその時思いました。
しかし、折角ポンペイまでいったものの、ツアーではその大劇場には連れて行ってもらえず残念~
こういうことろがツアーのツライところです。雰囲気だけは充分味わってきましたが・・・・。
大噴火によってポンペイの街を一瞬にして火山灰で埋めてしまったヴェスヴィオ火山です。
噴火があったのは西暦79年8月24日だそうで、ということはコロッセオが完成する前の
ことだったのですね。
ポンペイは紀元前8世紀頃からワインやオリーブオイルの輸出で栄え、
紀元前1世紀頃にローマ帝国に編入され、貴族の別荘地としても賑わったそうです。
たぶん皆さん「フニクリ・フニクラ」という歌をご存知だと思うのですが、これはこのヴェスヴィオ火山に
敷設された登山電車の宣伝用に作られた歌で、世界最古のコマーシャルソングといわれているそうです。
詳しくはこちらで。