ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅤ(ボーヌ⑥) [海外@ブルゴーニュ2011]
ランチを終えた後、観光案内所のお兄さんお勧めのノートルダム教会を訪ねてみることにしました。
レストランを出て振り向くと丁度真正面でした。
通りを横切る時に向こうにオテル・デューの屋根がちらりと見えました。
ノートルダム教会は木彫りの扉が見事。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅣ(ボーヌ⑤) [海外@ブルゴーニュ2011]
オテル・デューの見学の後は、お楽しみのランチです!
今回の旅行の中では雰囲気のある一番のレストランでした。
ボーヌには、ソーリューにある三つ星のレストラン「ル・ルレ・ベルナール・ロワゾー Le Relais Bernard Loiseau」の
セカンド店「ロワゾー・デ・ヴィーニュ Loisearu des Vignes」があり、三つ星はさすがに敷居が高くて入れませんが
そのセカンド店ならまぁ大丈夫だろうと、姪っ子に予約をお願いしました
レストランはオテル・デューから歩いてすぐのところにありました。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅢ (ボーヌ④ オテル・デュー その3) [海外@ブルゴーニュ2011]
「最後の審判」 暫く粘ったのですが、人が引っ切り無しで絶えず、人が写らない写真が撮れませんでした(>_<)
オテル・デューの最終回です。衝立画(ポリプティック)とタペストリー、家具をご紹介します。
聖ルイの部屋の奥の小部屋に展示されていた衝立画「最後の審判」は、オテル・デューの創設者である
ロマン・ロランが、フランドルの画家、ロジェ・ヴァン・デール・ヴェイデンに描かせたもので、
当初は「貧しき者の広間」のチャペルの祭壇上部に飾られていました。
病人たちが見ることができるのは日曜日と祝祭日だけでした。
(衝立画とは屏風のような開閉式の絵画のことのようです。15世紀頃の祭壇は自由に開閉できるようになっていて、
日曜日や祝祭日に扉を開けて内側の絵を礼拝したそうです。)
「最後の審判」を題材とした絵画はたくさんにありますが、この絵も大変見応えのあるものでした。
天秤ではかっているところが何ともリアルな感じで、日本でいえば、差し詰め「三途の川」の場面かな?と
思ってしまいました。
最後の審判の解説です。↓
こちらは↓、この施療院を建てたニコラ・ロラン(左)と夫人のギゴーヌ・ド・サラン(右)で、
上の衝立画の閉じた時の絵画です。
同じ部屋に展示されていたタペストリー「千々の花」
(クリュニー美術館にある有名なタペストリー『一角獣と貴婦人』(未見です)を同様のテクニックと色で
再現しているそうです。本物を是非見てみたいものです。)
作品の解説には、傲慢なエロワ(のちの聖エロワ)が自分の馬のひずめを少しでも早くつけようとして
馬の脚を切ってしまったが、元に戻すことができなかったとあるそうです。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXⅡ(ボーヌ③ オテル・デューその2) [海外@ブルゴーニュ2011]
「貧しき者の広間」を出ると、中庭を囲むように小さなお部屋が並んでいて、見学の途中、
順路通り行くと何度か中庭が見渡せるところ出てきます。
ゴシック式(尖がっているところでしょうか?)の鉄製の枠に囲まれている井戸。
この施療院全体の水源として重要な役割を果たしてきたそうです。
↑上の写真を見ていただくとよくわかりますが、回廊は1階と2階の2層式になっていて、
病人の世話をする尼僧たちは天気の悪い時でも存分に働くことができたそうです。
外の通りに面していたのがこちらの黒っぽい屋根の建物で「貧しき者の広間」はこちらの建物にあります。
建物の暗がりの向こうに小さく見えるのが入ってきた入口です。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXXI (ボーヌ② オテル・デューその1) [海外@ブルゴーニュ2011]
ブルゴーニュ旅行記に戻ります。
素っ気ない黒い屋根と石壁に囲まれたオテル・デューの門をくぐり中庭に出ると、
目の覚めるようなカラフルな幾何学模様の屋根が目に飛び込んできました。
ブルゴーニュで流行した色煉瓦の屋根の中でも、立派で美しいといわれているものです。
素っ気ない外観は、建設当初盗賊に狙われないためにわざと貧しそうにみせるという
一種のカムフラージュだったそうです。
オテル・デューとは、フランス語で「神の館」と意味の施療院で、もともとは修道院に付随し、
病人や貧しい人たちを救済する目的として礼拝堂や墓地を備えて、尼僧たちが看護にあたっていました。
ボーヌの施療院は、ブルゴーニュ侯爵フィリップ・ル・ボンの宰相のニコラ・ロランによって建設され、
中世から今に至るまでそのままの形で保存されています。
ニコラ・ロランは自分のブドウ畑を寄進し、そこから得られる収入を施療院の運営費に充てていました。
現在もその伝統は生きていて、当時からは縮小されたもののそのブドウ畑から生み出されるワインの
売り上げは建物の修復などに使われています。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅XXX (ボーヌ①) [海外@ブルゴーニュ2011]
ディジョン滞在2日目は、コート・ドール(黄金の丘)と呼ばれる肥沃な丘陵地帯にある「ワインの里」ボーヌへ。
ディジョンに宮殿を構える前、ブルゴーニュ公家はこの町に住んでいたそうです。
計画段階ではボーヌ滞在も考えたのですが、ディジョンからボーヌまでは電車で約20分程なので、
ディジョンに2泊してボーヌへ行くことにしました。
ディジョンの駅9時5分発の電車に乗り、ボーヌへ向かいます。
ディジョンを出発すると車窓の風景はブルゴーニュらしい田園風景が広がりました。
20分程でボーヌ駅に到着です。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXIX (ディジョン② ディジョン美術館) [海外@ブルゴーニュ2011]
1か月近くご無沙汰になってしまいましたが、再び「ブルゴーニュの旅行記」に戻りたいと思います(冷汗)
こちらは完結までにはもう暫くかかりそうなので完全に年を越してしまいますが^^、
兎に角完成させなければとは思っておりますので、宜しければお付き合いください。
14から15世紀頃ブルゴーニュが独立公国だった頃の面影を残すブルゴーニュ大公宮殿ですが、現在では、
左半分は市庁舎として使われ、右半分は美術館として使われています。
美術館の内部は私たちが訪れた時には改修工事をしていて、かなりグルグルと回らされたような気がしました。
建物自体は15世紀頃に建てられたところを部分的に生かしつつ、17世紀にヴェルサイユ宮殿を設計した
マンサールによって改築されたものだそうです。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXVIII (ディジョン①) [海外@ブルゴーニュ2011]
オータンから無事ディジョン駅に到着。早いものでここに2泊してパリに戻ることになります。
ずっと田舎ばかり回っていたので、久し振りに都会に出てきた感じがしました。
ディジョンはかつてのブルゴーニュ公国首都で、かつてはフランスより隆盛を極めた時期もあり、
最盛期にはベルギー、オランダのあるフランドル地方までその勢力範囲があったそうです。
駅に隣接して観光案内所があったので地図や見どころの情報をゲットした後ホテルへ行くことにしたのですが、
私たちが訪れた今年の5月下旬、ディジョンの駅前はトラムを設置する工事が行なわれていて
道路も歩道も掘り起されてボコボコ、キャスターがついていてもトランクを引っ張りながら歩くのがとても大変でした。
ホテルはこの広場のすぐそばでした。
お部屋はこちらです。
よく言えばシンプルですっきりとしているお部屋、高級感はありませんが、手前にはソファーがあって、
トランクを広げられるスペースもあり、2人で充分な広さがありました。
一旦荷物を置いてから町へとでていきました。
ブルゴーニュ ロマネスクの旅 XXVII (オータン⑦) [海外@ブルゴーニュ2011]
オータン最終日です。午前中いっぱいでオータンを離れ、最後の目的地ディジョンに向かいます。
午前中、大聖堂や私たちが泊まったホテルのある場所からオータンの駅を挟んで反対側にある
ローマの遺跡であるヤヌス神殿に行ってみることにしました。
より大きな地図で オータン観光 を表示
青のピンが1日目に訪れたところ、ピンクが2日目、黄色が3日目です。