ポルトガル縦断の旅 その53 <帰国> [海外@ポルトガル2015秋]
長きにわたって綴って来た「ポルトガル縦断の旅」の旅行記もいよいよ大詰めです。
最終日は勿体無いようですが、帰るだけです。
トランジットがあるのでどうしてもそうなってしまうのでしょうね。
夜中、氷と格闘(のら人さんの表現を拝借^^)したおかげで膝の腫れや痛みもだいぶマシになりました。
トランクに入りっ放しになっていたという添乗員さんから貰った湿布薬は、飛行機に乗っている時に
使わせて頂き、本当に助かりました。
ホテルでの最後の朝食です。
ポルトガルは、入国したポルトもそうでしたが、リスボンも空港が市内から近くて
昨年のブリュッセルでのような渋滞にハマってということはなく、余裕をもって空港に到着しました。
行きと同じく、帰りもフランクフルト乗り換えです。
リスボン⇒フランクフルトで出た機内食です。
お昼の時間にかかったからなのかパスタでした。
ポルトガル縦断の旅 その52<リスボン その9 夜景を見ながら> [海外@ポルトガル2015秋]
というわけで、膝の痛みに耐えかねてホテルに戻ってきてしまったので、
結局リスボンで、路面電車にもケーブルカーにも乗らずになってしまいました
部屋に戻って患部を見るともうパンパンに腫れていて、熱も持っています。
とにかく冷やさなければと貰ってきた氷を当てて暫くじっとしていました。
ツインのお部屋だったのでタオルも2人分あって助かりました。
膝は痛くてもしっかりお腹が空いてきます(笑)
添乗員さんから、このホテルでは屋上で夜景を見ながら軽食を食べることができると聞いていたので
もう外へ出る元気もないので、そこへ行くことにしました。
細い階段を上って屋上へ出ると、おぉ、見えます!
ライトアップされたサン・ジョルジェ城です。
昼間訪れた時にはだらんとしていた旗もはためいています。
サン・ジョルジェ城から見たホテルですが・・・・
屋上のレストランはどこ?
トリミングしたら写っていました。
屋上レストランはこの辺りです。
もちろんノドを潤しました
ポルトガル縦断の旅 その51<リスボン その8 > [海外@ポルトガル2015秋]
くちばしの家
大聖堂と路面電車のショットは本当に絵になりますし、リスボン旅行の記念になりますね。
皆、右端の人のように撮っていました(もちろんワタクシもそのひとりです)
この後は、この旅行で一度も美術館へ行っていなかったので、旅行中に1か所くらいは行きたいなと思い
ガイドブックを見るとグルベンキアン美術館は幅広いコレクションが揃っているとのことなので、そこに決定!
ですので、路面電車には乗らず
地下鉄の駅を目指して石畳を道を転ばないように歩いて行きました。
ワイン屋さんの入口にはアズレージョです。
壁の色に合わせたのかシックな色合いで素敵です。
ポルトガル縦断の旅 その50<リスボン その7 大聖堂(カテドラル)を見学> [海外@ポルトガル2015秋]
サン・ジョルジェ城から出てくると、運がいいことにバス停にバスが止まっていて
5分位で出発するということだったのでバスに乗って発車を待ちました。
そうでなくても、下りは膝に負担が掛かるので絶対バスじゃないと無理かな?と思っていたのです(^^ゞ
大聖堂のところで降りて大聖堂の内部を見学です。
この大聖堂は、リスボンをイスラム教徒から奪回したアフォンソ・エンリケス(のちのアフォンソ1世)の命によって
モスクの跡地に1147年から建設が始められました。
当時は砦の役目もあったらしく、1755年のリスボンの大地震の時にも耐えて崩れなかったた頑丈な造りです。。
天井は丸型なのでロマネスク様式ですが、大聖堂の内部は色々な様式が混じり合っているそうです。
左側↑の写真、入口正面の上の薔薇窓は、中央にキリスト、周囲には12使徒が描かれているそうです。
モザイクのような色の組み合わせががとっても綺麗ですね。
中央の祭壇にもう少し近寄ってみます。
交差部分の左右の両翼にも薔薇窓がありました。
ポルトガル縦断の旅 その49<リスボン その6 サン・ジョルジェ城> [海外@ポルトガル2015秋]
前記事ではお祝いのコメントをたくさんありがとうございました。
この1年もきっとあっという間に過ぎて行くのでしょうね。
ポルトガル旅行記も残り半日分となりました。
リスボン市内を散策したあと、ホテルに戻って解散。午後は自由行動です。
私はといえば、朝、転倒して石畳に打ち付けた膝の痛みがだんだんと増し、
一旦ホテルの部屋に戻って、シップを貼り直して、暫く休憩。
やっぱりここで行かなければ後で後悔すると思い、力を振り絞って出掛けることにしました。
まずはやっぱりリスボンの大地震にも耐えた大聖堂でしょう。あのカットは撮っておきたい
なるべく歩かないようにしようと、ホテルの前から市電に乗ろうと思ったのですが
長蛇の列でこれでは何台かやり過ごさなければならない感じだったので
時間もないので仕方がありません、地図を片手に歩くことに。
大聖堂の方に向かっては上りになっています。
あっ、教会!と思ったら、これは大聖堂では有りません。
道なりに右方向へ行くと、大聖堂が見えてきました!
市電が来るまで待ちます。
あ、来ました、来ました・・・・
来たと思ったら、市電は意外と早いのでタイミングが難しかったです。
カテドラルの前にはバス停もあって、サン・ジョルジェ城行のバスは?と探していると
バスが来たので、大聖堂の見学は後回しにして、バスに乗っちゃいました。
上に行くほど道が狭くなっているので、こんな小さなミニバス(といってもメルセデスでした(^^ゞ)で
ぐいぐいと上って行きました。 かなり細くて急な坂道だったので、バスに乗ってよかったと乗りながら思いました。
そうこうしているうちにお城の目の前に到着です(^^)/
ポルトガル縦断の旅 その48<リスボン その5 リスボンの街> [海外@ポルトガル2015秋]
ジェロニモス修道院の見学の後は、修道院から道路に出てすぐのところにある「Pasteis de Belem」というお店で
ポルトガルの伝統のお菓子「Pastel de Nata(パステル・デ・ナタ)、日本ではエッグタルト」を食べるため
ティータイムとなりました。
お店の前の道路には市電が走っています。
このお店はジェロニモス修道院から伝えられた配合や作り方を今でもかたくなに守っているそうです。
もちろんレシピは門外不出。このお味は、このお店でしか味わえません!
1837年創業ということですから、180年!凄いですね。
シナモンかけて食べるのがポルトガル流ということでかけましたよ~。
まわりはパイ生地になっていてパリパリで、、中はカスタードクリームのようなクリームが入っていました。
ヨーロッパのお菓子は日本に比べると甘いものが多いですが、これはそれ程甘くはなかったという記憶です。
アツアツのを頂きました。(歯形が付いていますが(^^ゞこんな感じです)
コメントに書いて下さいましたがgillmanさんも召し上がられたとか^^
ポルトガル縦断の旅 その47<リスボン その4 ジェロニモス修道院 後編> [海外@ポルトガル2015秋]
聖歌隊席から通路を通って、今度は回廊の方へと行きます。
食堂です。
建設当時は修道士の共同室として使われていたそうです。
天井のヴォ―ルトの形状が見事です。
壁面を飾るアズレージョは18世紀のものだということですので、後から付けられたものと思われます。
正面に飾られている絵は聖ジェロニモスを描いたもの。
窓枠はマヌエル様式。
ポルトガル縦断の旅 その46<リスボン その3 ジェロニモス修道院 前編> [海外@ポルトガル2015秋]
ベレンの塔と発見のモニュメントを眺めたあとはジェロニモス修道院の見学です。
ジェロニモス修道院は道路を隔てた向かい側で、地下通路を潜って行くのですが、
そのためには階段を一旦下りてまた上らなければなりません。
膝に体重がかかるため、朝、石畳に打ち付けた膝への負担は大きく、
平地ではそれ程感じなかった痛みがこわじわと襲ってきました。
しかし、ツアーでの観光だったので、ひとり遅れをとるわけにも行かず、頑張って付いて行きましたよ~
ジェロニモス修道院は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を讃え、
また新天地開拓へと乗り出していく航海の安全を祈願してマヌエル1世が1502年に着工。
胡椒取引の利益によって得られた富を使い、約1世紀をかけて完成させた
ポルトガルの黄金時代、マヌエル様式を象徴する建物です。
最初にジェロニモス修道院の中のサンタ・マリア教会にまず入ります。
入場は南門からでした。
レースのような繊細な彫刻が見事です。
スペイン人建築家ジョアン・デ・カスティーリョによって1518年に完成。
聖母マリア像を中心に聖人や高位聖職者の像が何体も飾られています。
↑ ティンパヌム(フランス語でタンパン)に彫られているのは聖ジェロニモスの生涯だそうです。
ポルトガル縦断の旅 その45<リスボン その2 ベレンの塔と発見のモニュメント> [海外@ポルトガル2015秋]
ベレンの塔(世界遺産)
ポルトガル縦断旅行の観光の最終日。午前中はリスボンの観光です。
向かったのは、テージョ川に面するベレン地区。
大航海時代ポルトガルの主要港だったところです。ベレンの塔はマヌエル1世の命令により1515年~1519年に
かけて建てられたそうです。その当時は水中にあり、「サン・ヴィンセンテの砦」として河口を守る要塞として
造られたが、その後は船の通関手続きを行う税関や灯台としても使われたとか。
テージョ川です。
内部も見学できるのですが、残念ながらツアーでは外側から見学するだけでした。
作家の司馬遼太郎は、優雅なテラスを持つこの塔を「テージョ川の貴婦人」と表現したそうです。
装飾された窓の部分は国王の間。
マヌエル様式で装飾されています。
そしてこちらが「発見のモニュメント」です。
ポルトガル縦断の旅 その44<リスボン その1> [海外@ポルトガル2015秋]
バスの車窓から撮ったので映り込みがあります。 ボンバル侯爵広場
ロカ岬からワタクシたちを乗せたバスは一路リスボンへと向かいました。
時間的には1時間弱位だったと思います。
ボンバル侯爵は、ポルトガルを代表する政治家のひとりだそうです。
リスボンも1755年に大地震に見舞われ、その後のリスボン再建計画や、政治、経済、教育など
様々な分野で改革を行って、近代ポルトガルの礎を築いた人物だとか。