ポルトガル縦断の旅 その43<ユーラシア大陸最西端 ロカ岬> [海外@ポルトガル2015秋]
イタリアから帰ってきたばかりですが、昨年の秋のポルトガル旅行記の続きです(^^ゞ
あともう少しありますので、お付き合い下さいね。
シントラの王宮の見学を終えた後、この日の最後の見学地、ユーラシア大陸の最西端「ロカ岬」へと向かいました。
バスに乗ると、添乗員さんからシントラで買って下さったシントラのお菓子「ケイジャーダ」が配られました。
ケイジャーダとは、ポルトガル語でケイジョ、つまりチーズを使ったお菓子で、添乗員さんから左の看板のお店が
一番有名だとは教えてもらったのですが、お店に行ったらとっても混雑していたので買うのを諦めたら
添乗員さんは並んで買って下さったのでした。
小さなお菓子なのでパクッとひと口で食べられてしまいますが、チーズの独特の香りがしないので
チーズが苦手な人も食べられるんじゃないかと思います^^
お菓子を食べてひと息ついていると荒涼として景色、そして大西洋が見えてきました。
ポルトガル縦断の旅 その42<王家の避暑地シントラ その3> [海外@ポルトガル2015秋]
皆様、こんばんは。
日曜日の朝から1泊で京都へ桜を見に行っていまして、先程戻って来ました(^^ゞ
今回はいつもの晴れ女のパワーを充分に発揮できず、傘のお世話になってしまいましたが
丸2日間歩き倒して楽しんで参りました。
そんな訳で前記事のお返事や皆様のところへの訪問が滞っていて申し訳ありません。
さて、今日はポルトガル旅行記、シントラの続きです。
次のお部屋は、舟底型の天井になっていました。
ポルトガルが大航海時代の先駆者であったことを思い出させますね。
これはライティングビューローのようなものでしょうか。
テーブルの部分を片付けられるようになっているようでした。
引き出しがたくさんありますが、央にはイエスキリストの像。
表面の装飾は螺鈿に似ていますね。
如何にもマヌエル様式という入口の装飾の向こうでは、 天井に向けて写真を撮っている姿が見えます。
ポルトガル縦断の旅 その41<王家の避暑地シントラ その2> [海外@ポルトガル2015秋]
王宮の中に入ると・・・
イスラム教徒が残した建物を改築した名残がいきなり目の前に現れました。
壁面のタイル、これはアズレージョではなく、2014年のモロッコ旅行で見たモザイク、ゼリージュに他なりません。
柄までそっくりです!
ムーア人(モロッコ・モーリタニアなどアフリカ北西部に住み、イスラム教徒でアラビア語を話す人々の呼称)が
造ったに違いないって思いました。
調度品も素晴らしいです。
「白鳥の間」です。
27羽の白鳥がそれぞれ違ったポーズをとっているいるそうです。(トップの写真はクリックすると大きくなります。)
九州のキリシタン大名が派遣した天正少年使節団がここでおもてなしを受けたとか。
グリーンを基調としたタイルが如何にもイスラムっぽいです。
ポルトガル縦断の旅 その40<王家の避暑地シントラ その1> [海外@ポルトガル2015秋]
シントラの王宮 手前がレプリカ広場
ランチを食べた後に向かったのは、ポルトガル王室の避暑地シントラです。
バスの車窓から撮った写真ですが、真正面にある緑に覆われた山々がシントラ山系で、
といっても標高は500メートルを超す位だそうでそれ程高くはありません。
その中に王宮や、豪奢な城館や貴族の別荘が点在しています。
シントラは、リスボンから西に28キロ程のところなのですが、海岸からほど近くにあって深い緑に覆われています。
イギリスの詩人バイロンが「この世のエデンの園」とたたえたそうです。
ここも世界遺産に登録されています。
王宮近くの路地にはお土産屋さんが建ち並んでいました。
観光馬車もありましたよ~。
結構急な坂道なのでお馬さんたちは大変かもしれないですね。
ポルトガル縦断の旅 その39<バカリャウ料理に舌鼓^^> [海外@ポルトガル2015秋]
質素な中にも荘厳さを兼ね備え、ポルトガル・ゴシック芸術の最高傑作と言われる見事な彫刻の棺が置かれていた
アルコバッサの修道院を後にして向かったのは、ポルトガルの王室の夏の離宮のあるシントラ。
そのシントラの手前の町のレストラン「TENDINHA」でランチです。
このお店は恐らく夜だと思いますがファド(ポルトガルの民族歌謡)の公演もやっているようですね。
お店に入ると大きな水槽がお出迎え~。岩のようなものに張り付いているのは伊勢海老ですね。
カニさんもいっぱいいました。
残念ながら、ランチには伊勢海老も蟹も関係なく、ポルトガル名物料理のひとつ、バカリャウ料理です。
ポルトガル縦断の旅 その38<アルコバッサ修道院 その3> [海外@ポルトガル2015秋]
*3月25日、食堂の全体の雰囲気が分かる写真を1枚追加しました。
ドン・ディニスの回廊(沈黙の回廊とも呼ばれる)
見事な彫刻に施された棺が置かれていた修道院の教会堂から、修道院の内部の方へ移ります。
王たちの間です。
16世紀の後半に流行した典型的な教会のサロンだそうです。
壁面にはアズレージョで飾れていますが、修道士ベルナルド・デ・ブリトの「シトー会年代記」に基づく
伝説的な修道院設立の物語が描かれ、語られています。
また、壁面の飾られている粘土細工の像は、
アフォンソ・エンリケスからジョゼ1世の歴代の国王(除く3人のフェリッペ)で、
バロック時代よりここに飾られているそうです。
ドンディニスの回廊に出ます。
修道院のあらゆる場所を行き来するするために必要な空間であることから
中世アルコバッサ修道院の中心となっています。
沈黙の回廊とも呼ばれるのは、 修道士たちがここで沈黙を課されたからだとか。
柱頭の彫刻。
ちょっとグロテスクでロマネスク様式を思わせるものもありました。。
回廊の片隅にあったマリア像でしょうか。
中庭です。
まるで箱のようにきっちりと刈り込まれた庭木が印象的です。
正面の少し飛び出た所におかれていたのがこちら。
今は水が出ていませんでしたが、食堂へ入る前修道士たちがここで手を清めた「水場」。
修道院の真正面に見えた鐘楼です。
2階の回廊は、16世紀にマヌエル様式で後付されたものとのことですが
バターリャの修道院のような派手さはなく、どちらか柱頭を支える柱やアーチは
繊細な感じを受けました。
ポルトガル縦断の旅 その37<アルコバッサ修道院 その2> [海外@ポルトガル2015秋]
ポルトガル縦断の旅 その36<アルコバッサ修道院 その1> [海外@ポルトガル2015秋]
ポルトガルの旅行記に戻ります。
翌朝ナザレのホテルを出て一番に訪れたのはアルコバッサ。
アルコア川とバッサ川の合流地点にあって、アルコバッサは差し詰め門前町といったところです。
ここには1153年、国王アフォンソ・エンリケ(アフォンソ1世)が1153年に建設を開始し、1223年に完成した
ポルトガル最古の完全なゴシック建造物であるとともに、王室第2の王廟となっている
シトー会の修道院があるのです。もちろん世界遺産に登録されています。
今回の旅行で訪問する観光地のなかで、私としては一番注目していた修道院でした。
というのは、姪っ子と回ったフランスの各地の旅行でも、シトー会の修道院を何か所か訪れていたので
そこと比べるのも面白いなと思っていたのです。
バスを降りて修道院まで歩いて行きます。
シトー会は戒律や質素を重んじ、自ら肉体労働をし、自給自足の生活。
農業開発を重んじる会の方針もあって沼地だったところは開拓によって耕作地になったそうです。
フランスでも水辺の近くに修道院が建てられていましたが、アルコバッサもそうですね。
やはり共通点があります。
アルコア川。この川の水は修道院の中まで引かれているとか。
実際がどうなっているのか興味津々です。
ポルトガル縦断の旅 その35<ナザレ その4> [海外@ポルトガル2015秋]
ナザレの海岸を楽しんだあとはホテルへと向かいました。
ナザレ海岸から少し離れたペデルネイラ地区にあるリゾートホテルで
1泊しかしないのがちょっと勿体無い感じでした。
というのは、プールもあったのです。
屋外のプールだけでなく室内プールも。
もちろん水着は持ってこなかったので入れず残念
ホテルのお部屋にはバルコニーも付いていて明るくとってもいい雰囲気でした。
遠くに海も見えました。
プールの方から見たホテルです。
一番上の階がレストランになっていて、夜はそこで食事をしました。
ポルトガル縦断の旅 その34<ナザレ その3> [海外@ポルトガル2015秋]
展望台のある高台の「シティオ地区」から海岸の「プライア地区」に下りて来ました。
私たちのツアーはバスで下りてきたのですが、ケーブルカーもあります。
斜面の中ほどにある、縦の白っぽい線が、この両地区を結んでいるケーブルカーです。
これに乗ってみるのも楽しそうですよね。
こう見るとかなり凄い崖です。
礼拝堂を建てた騎士ですが、この崖を落ちたとしたらまず助からなかったでしょうから
マリア様の御加護を感じるのも当然ですね。
海岸に板の通路があったので、ここを通って海辺の近くまで行ってみました。
すると看板が。
日本語の記載はなかったですが、「Unguard Beach」。
泳ぐなら自己責任で泳げってことですね。
わんこが波打ち際を颯爽とお散歩。
その先の岬の突端にあるのが、要塞です。今は灯台があるようです。