フランス ミディ・ピレネー地方へ! その39 (城塞都市カルカソンヌ 2) [海外@仏 ミディ・ピレネー2016秋]
シテへの入口 ナルボンヌ門
シテ(城塞都市)の中に入っていきます。
お城を見学した時に貰ったパンフレットを参考に、カルカソンヌの歴史をご紹介します。
古くは2500年前に遡ります。その当時からひとつの町として発展してきた場所で、
後期ローマ帝国時代(3~4世紀)には、ガロ・ロマンの城壁が町を取り囲み、今もその一部が残っています。
(ガロ・ロマンとは、ローマ帝国が支配していたガリア(現在のフランス)地方の独自の文化のこと・・・ウィキペディアより)
その後、西ゴート族、サラセン人、フランク人がこの城塞都市を支配。
12世紀、トランカヴェル家が現在の南フランス一帯で強大な権力を持っていましたが
当時この地方一帯はキリスト教の異端であるカタリ派(アルビでご紹介したかと)の拠点となっていて
その人気に脅威を感じたカトリック教会の当時の教皇イノケンティウス三世が、
1208年カタリ派撲滅の十字軍(アルビジュワ十字軍)を派遣し、攻囲されたカルカソンヌは1209年に降伏し、
その後フランス国王の所有となったそうです。
後期ローマ帝国時代(3~4世紀)には、ガロ・ロマンの城壁が町を取り囲み、今もその一部が残っています。
(ガロ・ロマンとは、ローマ帝国が支配していたガリア(現在のフランス)地方の独自の文化のこと・・・ウィキペディアより)
その後、西ゴート族、サラセン人、フランク人がこの城塞都市を支配。
12世紀、トランカヴェル家が現在の南フランス一帯で強大な権力を持っていましたが
当時この地方一帯はキリスト教の異端であるカタリ派(アルビでご紹介したかと)の拠点となっていて
その人気に脅威を感じたカトリック教会の当時の教皇イノケンティウス三世が、
1208年カタリ派撲滅の十字軍(アルビジュワ十字軍)を派遣し、攻囲されたカルカソンヌは1209年に降伏し、
その後フランス国王の所有となったそうです。
1659年、現在につながるフランスとスペインの国境を定めたピレネー条約の締結まで、
カルカソンヌはフランスとアラゴン王国の国境を守っていましたが、締結後は、軍事的な地位は喪失。
カルカソンヌはフランスとアラゴン王国の国境を守っていましたが、締結後は、軍事的な地位は喪失。
19世紀になって、建築家ヴィオレ・ル・デュクがシテの城塞部分を復元し、現在に至っています。
1997年にユネスコの世界遺産に登録されています。
1997年にユネスコの世界遺産に登録されています。
お城の見学の開門まで、シテの中をちょこっと散策。
お城に入ります。
これが、城塞都市カルカソンヌの全容の模型です。
↓今見学しているのこの建物です
向って右側の長方形の塔が監視塔。
左側が、城壁になっていて、防塁建築で、13世紀の国王権力を誇る代表的建築物だとか。
左側が、城壁になっていて、防塁建築で、13世紀の国王権力を誇る代表的建築物だとか。
ここが入口の部分です。
半円のアーチのようになっているところがチケット売り場でした。
石の橋を渡って入場。
半円のアーチのようになっているところがチケット売り場でした。
石の橋を渡って入場。
跳ね出し櫓
木造の回廊ですが、包囲された場合には、ここを切り離して
城壁の基礎となる部分を防護する役目を果たします。
木造の回廊ですが、包囲された場合には、ここを切り離して
城壁の基礎となる部分を防護する役目を果たします。
カルカソンヌ続きます。
カルカソンヌは、正式には、ミディ・ピレネー地方ではなくお隣のラングドック・ルシヨン地方に属します。
(2016年9月10日)
*予約投稿に失敗したみたいです(>_<)
朝になってもアップされていなかったです
朝になってもアップされていなかったです
こういう城塞都市も一度みてみたい
特にシテの中に興味ありです(@_@)
素敵なスナップ撮れそう
by snow (2017-08-04 08:09)
煉瓦の色の統一感も美しいですね。 青空とも良く合いますね(^^)
私も予約投稿失敗しました。。。
by ぼんさん (2017-08-04 08:16)
日本とは全然違う雰囲気で楽しいわ。
2枚目の写真なんか好き^^
by リュカ (2017-08-04 10:12)
こんにちは。素晴らしい建築物、レンガの数が半端ないですよね。いつの日かヨーロッパには行ってみたいです。^^;
by ソニックマイヅル (2017-08-04 13:24)
余り目にしない景色にいつも
憧れます一度撮ってみたいです。
by タカタカ (2017-08-04 14:41)
フランスの歴史は、日本の戦国時代のように群雄割拠したため
でしょうか、城壁造りの建物や町が多いですね、
アヴニョンの町では鳳凰宮殿が城塞で驚きました(^^
by koh925 (2017-08-04 15:42)
私も予約投稿したのが、朝になっても、されていませんでした。
そして、自分のコメントを先ほどまで、見ることができませんでした。
すごく、また、実践的なお城ですね。
キリスト教の中でも、宗派が、違うと、攻め滅ぼしちゃうのですね。
1208年に、十字軍に降伏したカタリ派の人達は、改宗するか、殺されたのでしょうか?
それから、2枚目の写真で、女性の像がありますが、誰の像でしょうか?
こういうお城で、女性の像は、珍しいですね。
by テリー (2017-08-04 16:57)
ヨーロッパのお城で木造の回廊って
なんだか新鮮な気がしますが
私だけでしょうか??
by らる (2017-08-04 17:12)
検索すると、復元の賛否と、地政学的な運命と、おおお!大河ドラマだわさぁ~!「女城主」の時代があって、その方の名前が、城塞都市に冠されたという伝説は、出来過ぎ???
本邦では、小説「のぼうの城」で一般的にも有名になった。忍城の『甲斐姫』の籠城戦を、想いました!!!
by hanamura (2017-08-04 17:46)
良く出来ている要塞ですね(^_^)v
見学してみたくなります。
by tarou (2017-08-04 17:56)
予約投稿された方は皆さん言ってますね。私は早起きなので何時も起きてから投稿します。
日本の戦争とは違い、ここではどんな戦争だったのか想像できません。
by takenoko (2017-08-04 19:33)
木造の回廊はヨーロッパでは珍しいですね!
曽根風呂たまにやってくれますね(^^)
by ma2ma2 (2017-08-05 05:12)
最初の数枚でどこかで見たようなデジャブを感じました。
ここへはもちろん行ったことないので、記憶をたどると、たぶんスペインのトレドかな。
城壁で囲まれたところがなんとなく似てます。
by YAP (2017-08-05 06:44)
爺はフランスに2回行きましたがたった2回ではまだまだ観たいところがあります。シテには行ってませんが遠くからは眺めてた記憶があります。
by 旅爺さん (2017-08-05 10:21)
なるほど・・・都市全体が塀で守られていて、その中にお城があるんですね。
勉強不足ですが、こういうのは珍しいんでしょうね。
青い空と茶色の壁のコントラストが素適です。
by ひろし (2017-08-05 11:02)
カルカソンヌ、3年前行きましたが、懐かしいです。
橋からみえた城壁が素敵でした。
by mika (2017-08-05 11:32)
皆様、こんにちは。
ご訪問、nice!&コメントをありがとうございます。
昨日の予約投稿失敗は曽根風呂の仕業だったのですね。
おまけにコメント欄が夕方になるまで表示されず
当初は自分の思い違いやPCの不具合かと疑ったのですが
結果は、あ~やっぱりそうか・・でした^^
♪snowさん
ヨーロッパの旧市街は城壁に囲まれた町が多く
所々にその名残が残っていますが
ここまで完璧な城塞都市は珍しいです。
シテの中は現代にいながら、
中世にタイムスリップような感覚になりますよ^^
♪ぼんさんさん
昔から統一感を大事にして街造りをしたことが覗えますよね。
予約投稿、自分が失敗したと思いましたよね。
ソネブロの場合は自分じゃないことが多いかもしれないです(笑)
♪リュカさん
まずはやっぱり石の文化と木の文化の違いかな。
今でも中世の時代の人たちと同じような景色を見ている考えると
不思議な感じがするのよね~^^
♪ソニックマイヅルさん
こういう城壁を見ると石の文化を再認識しますね。
いつか実物を見て頂きたいです。
♪タカタカさん
海外に行くと文化の違いを見せつけられる感じがします。
私もタカタカさんが撮られたお写真を是非拝見したいです。
♪koh925さん
フランスだけでなくヨーロッパには城壁で囲まれた街が多いですね。
守りやすかったからではないでしょうか。
アヴニョン、そうそう、そうでしたね。懐かしいです。
♪テリーさん
私のところもコメント欄がずっと表示されていなかったです。
きっと同じ状態だったのだと思います。
徹底的にやられたようです。地球の歩き方によると
犠牲者は50年間の間に100万人にも達したとか。
カタリ派はカルカソンヌを追われたあと、
険しい山の頂上にある城塞に潜伏したそうですが
十字軍の激しい攻撃にあって、1255年に降伏し
1321年に最後の信者が火刑となり、カタリ派は全滅したといわれているそうです。
入口の女性の像は、カール大帝がこの都市を攻略するのを諦めた時の
女領主カルカスらしいです。(拡大して見たら字が彫られていました。
カルカソンヌの町の名前はこの方の名前に由来するという伝説もあります。
♪らるさん
木造の回廊は敵の侵入からお城を守るためだったようですよ。
石造りだと簡単に壊すことができませんが、
木造の場合は簡単に切り落とせますからね。
by kuwachan (2017-08-05 12:14)
♪hanamuraさん
そうなんです。色々あったみたいなんですよ。
でも、廃墟のようになっていたところを復元したことは凄いことだと思います。
それがなければ、今ここは存在しなかったでしょうから。
『甲斐姫』ですか?一般的に有名なんですね(冷汗)
チェックしなければ(^^ゞ
♪tarouさん
復元されたおかげだと思いますが、
中世の軍事建築のもっとも美しい例と考えられているそうです。
♪takenokoさん
昨日は確か「公開待ち」になっていたはずなのに変だなと思ったら
案の定、ソネブロ不具合でした^^
中世だと日本もヨーロッパも変わらないかもしれないですよ。
まだ鉄砲とかはないので。
♪ma2ma2さん
木造は軍事上でしょう。
ソネブロと聞くと、あぁと、妙に納得してしまいますよね^^
♪YAPさん
ヨーロッパにはまだまだ城壁の一部が残っている旧市街がありますからね。
入り口付近の感じはどこかと見たことがあっても不思議ではないです。
トレドの方がずっと広いと思います。
♪旅爺さんさん
フランスは国土が広いですし、観光地がたくさんありますものね。
日本でも2回ではなかなか網羅できません。
♪ひろしさん
城壁に取り囲まれたところが街になっていて
その中にお城があるという感じです。
きっと、ヨーロッパではこうパターンが多かったのだと思います
それがよく言われる旧市街の部分かと。
現在これだけ完全な形で残っている城塞都市はほとんどないようです。
♪mikaさん
mikaさんも行かれたのですね。
橋はポンヌフでしょうか?
遠くから眺めた城壁、忘れられませんよね。
by kuwachan (2017-08-05 12:15)
壁に囲まれた城塞都市のカルカソンヌ、
人型の彫刻(女性の像?)が施された城門がまた
趣ありますね~(^^)
城内も城外とは違った特別な空気が流れてるようで、
お写真からも歴史のロマンが感じられます♪
木造の回廊、なるほど、
いざというときは切り離すということを
考慮されているのですね。
by あおたけ (2017-08-05 12:38)
これは見応えたっぷりなお城ですね。
規模が大きくて見るのに何時間もかかりそう。
by 響 (2017-08-05 18:28)
規模が大きいですね。
中世ヨーロッパを舞台にした映画やゲームなどが思い浮かびます。
by kou (2017-08-05 21:41)
皆様、こんばんは。
ご訪問、nice!&コメントをありがとうございます。
♪あおたけさん
場内に入るともうそこは中世の景色が広がっていました。
19世紀にはほぼ廃墟になっていたそうですが
歴史的価値が認められて復元されたとのことです。
お城は敵に侵入されないように色々な工夫がされていて
先人たちに知恵を感じました。
♪響さん
はい、見所がたっぷり。時間もたっぷり掛かりました。
1日テーマパークで楽しむ、そんな感じでしたよ~^^
♪kouさん
ヨーロッパ最大規模の城塞だそうです。
そう、中世といったらまずこういう城壁のイメージですよね。
物語の中のものではなく実際に存在していたんだと改めて思いました。
by kuwachan (2017-08-06 01:00)
おとぎ話のような風景ですね!
どこでもドアが欲しいです^^
by kyon (2017-08-06 03:56)
フランスワールドカップの時、ココ行きました。懐かしい!
モンペリエで試合見て、ここがどういう所かまったく知らずに、真夜中にシテ内のホテルへ。
翌朝、散歩したら中世の光景にビックリでした。
by ペタッキ (2017-08-06 08:04)
木製の回廊が趣ありますね。
by sheri (2017-08-06 11:40)
♪kyonさん
そうなんですよ。
子供の頃に読んだおとぎ話に出てきた風景が
実際に存在し、目の前にありました!
♪ペタッキさん
おぉ、シテに泊まられたのですね!
真夜中に到着だったら、翌朝の驚きはさぞかし凄かったことでしょう^^
それにしてもワールドカップも見て、カルカソンヌ観光って
想い出に残るご旅行になりましたね(^_-)-☆
♪sheriさん
石造りの建物の中に木造の回廊は
やっぱり目を惹きますよね^^
by kuwachan (2017-08-07 00:03)