ブルターニュ地方への旅 60 ・・・ 総集編 (完) [海外@ブルターニュ2013]
より大きな地図で 2013初夏 ブルターニュ地方への旅 を表示
*右の方にスクロールするとReimsとLensの両ランスの位置もも見ることができます^^
約1年に渡ってちょこちょこと書き綴って来たブルターニュの旅日記ですが、
前回の記事で何とかゴールを迎えることができました。
皆様の温かいコメントやnice!にどれだけ励まされたことか。
本当にありがとうございました。
皆様の力強いご支援がなければ、恐らく写真も撮りっぱなしで、
PCのHDDに入っているだけの状態だったと思います(^^ゞ
では、旅日記の最後を締め括るダイジェスト版です。
それぞれ記事にリンクを張っておきましたので、
気になる記事があったら、ポチっとクリックしてみて下さいね
ブルターニュ地方への旅 59 ・・・最終日 [海外@ブルターニュ2013]
約1年に亘って長々と綴ってきました「ブルターニュ地方への旅」ですが、最終日となりました。
最後の日といっても約半日だったのですが、姉と姪っ子は親子水入らずでということで別行動。
私はショッピングに出かけました。
前回、メトロの故障に遭遇してもう冷や汗ものだったので、一応姪っ子からバスの番号を教えてもらっておきました
モンパルナスのホテルから、メトロのパストゥール駅に行く途中です。
少し霞んでいますが、真正面にエッフェル塔が見えます。やはりパリのランドマークといったらエッフェル塔でしょうか?
周囲に高い建物がないので、離れていてもかなり下の部分まで見えます。
景観は一度崩してしまったらもう元に戻すことは非常に難しいです。不可能に近いかもしれません。
国立競技場は本当にあの案で行くのでしょうか?壊して建て直す必要があるのでしょうか?
日本の技術があれば改修でも素晴らしいものができるのでは、と素人考えでは思ってしまいますが、
とにかく神宮外苑らしさを失わないようなものにしてもらいたいなと願っています。
古いものを大切にするパリの街並みを見ながらそんなことを思ってしまいました。
東京の丸ノ内線と同じようにパリのメトロも地上を走っているところがあります。
ブルターニュ地方への旅 58・・・番外編 日帰りでランス⑩ [海外@ブルターニュ2013]
ブルターニュ地方への旅 57・・・番外編 日帰りでランス⑨ [海外@ブルターニュ2013]
フジタ礼拝堂からバスに乗って一旦駅に戻り、バスを乗り換えて、
藤田が礼拝堂を造るきっかけとなった不思議なインスピレーションを受けたサン・レミ聖堂へ。
バスに乗ってしまったので気づかなかったのですが、礼拝堂から駅までの間には
古代ローマの時代の門(マルス門)があったらしく、残念ながら見逃してしまいました(>_<)
サン・レミ(聖レミ)聖堂には、フランク王国の王クロヴィスにキリスト教改宗の洗礼をおこなった聖レミの遺体が安置されているそうです。この聖堂は11世紀初頭に建設が始まり、その後何度も修復を重ねているため、ロマネスク様式とゴシック様式が混じりあった建物になっています。
第1次世界大戦の時のドイツ軍の空爆や爆撃によって壊滅的な被害を受け、その再建に40年掛かったそうです。
この聖堂も、隣にあるベネディクト派の大修道院であった建物を利用した博物館(未見)とともに
世界遺産に登録されていて、登録名は「サン=レミ旧大修道院」とのことです。
ステンドグラスが小さいところが、ゴシックの初期であることを感じさせます。
柱頭の彫刻がロマネスクっぽい感じです。
ところが、聖堂に中に入ったもののなんか雰囲気がいつもと違います。
黒っぽい服を着ている人や制服を着ている人が続々とやってくるのです。
どうやらお葬式が始まるようで(消防士の方で殉職されたようでした)、
聖堂の見学を一旦諦めて外にでました。
ブルターニュ地方への旅 56・・・番外編 日帰りでランス⑧(フジタ礼拝堂) [海外@ブルターニュ2013]
この礼拝堂は、日本人の画家である藤田嗣治(ツグハル・レオナール・フジタ)が80歳の時に、
シャンパンのメーカーであるマム社の資金支援を受けて建てた礼拝堂で
内部の壁一面には藤田のフレスコ画が描かれています。
礼拝堂でもらったパンフレットによると、藤田は1959年ランスのサン・レミ聖堂(また後日記事を書きます^^)から
不思議なインスピレーションを受けてカトリックに改宗、洗礼を受けたランスの大聖堂で結婚式を挙げ、
当時マム社の社長であった洗礼親のルネ・ラルーとともに、翌年、聖母マリアに捧げるロマネスク様式の礼拝堂を
建立することを決意し、設計とすべての装飾を藤田が手掛けたそうです。
工事が着工されたのは1965年、建築家モーリス・クロジエが指揮し、ステンドグラスはシャルル・マルク、
金属装飾と彫刻はマクシム・シケとアンドレ兄弟によって製作され、藤田が壁画を描いたのです。
それも、生涯で初めて、約200平方米わたる絵画装飾のため、難易度の高い技術を要するフレスコ画に挑戦。
礼拝堂に入ると、すぐ左手に受付があって年配の男性の方がいらっしゃいました。
先客は外国人の方で2~3名だったでしょうか。残念ながら内部は撮影禁止の表示が・・・・
ブルターニュ地方への旅 55・・・番外編 日帰りでランス⑦ [海外@ブルターニュ2013]
トー宮殿の見学を終えた後はランチです
お店は姪っ子がチェックをして来てくれたのでついていきます。
果物がお店の前に並べられていましたが、日本のように袋入りや一皿盛りではなく1個ずつ買えるのが一般的です。
お花屋さんの前には色取り取りのお花が並べられていました(スミマセン、ボケています ^^;)
1件目のお店は人気のお店だったようで、残念ながら予約でいっぱいと断られてしまいました
2件目のお店は、人気の外ではなく店内だったらOKということで、そこにしました。
結構暑い日だったので、まずはビールです。
レフはこの旅行でよく飲みました。
お揃いのカップもレフが生まれた修道院が描かれていてステキですよね。
ブルターニュ地方への旅 54・・・番外編 日帰りでランス⑥(トー宮殿) [海外@ブルターニュ2013]
トー宮殿はかつて大司教の館だったところで、現在は、大聖堂にあった損傷の激しい彫刻や
戴冠式の際に使用された宝物などが展示されています。
時間的にトー宮殿を見学するかノートルダム大聖堂の塔に上るかのどちらだったのですが
トー宮殿を見学する方を選びました。
ブルターニュ地方への旅 53・・・番外編 日帰りでランス⑤(ノートルダム大聖堂) [海外@ブルターニュ2013]
トー宮殿は大聖堂の南側にあり、大聖堂の西正面口を出て南側に回ります。
ここから見る大聖堂も壮観です!
で、ここでお詫びです。前回の旅行記の最後で次回はトー宮殿ですとお伝えしましたが、写真を見ていましたら
ノートルダム大聖堂の外観をまだ全部ご紹介していなかったことに気づきましたので、
今日は大聖堂の外観をご紹介します。
大聖堂の周囲には大聖堂よりも目立つような大きな建物がないので、
大聖堂の全体の大きさや塔の高さが際立ちます。
日本の高層ビルよりもずっと低いはずなのですが、その姿はずっと威容があるように見えました。
2本の塔と南扉口の間の屋根が平らになっている部分(内部でいうと身廊の部分ですね)に
小さな塔が並んでいますが、その小さな塔のことを「ピナクル(小尖塔)」と言うそうです。
ピナクルと建物本体の間にあるのが、おなじみの「フライング・バッドレス(飛梁)」です。
繰り返しになりますが、これにより天井の高い建物の建築が可能になりました。
塔の中には一人ずつ、聖人?でしょうか。その下にはガーゴイルも見えますね。
そして南側扉口です。
円のようになっているところが薔薇窓の部分で、
その下の細長い部分はワイン(シャンパン)造りの工程のステンドグラスがあったところです。
左手に大聖堂、右手にトー宮殿がありますが、そのまま突き抜けて行くと・・・・・
ブルターニュ地方への旅 52・・・番外編 日帰りでランス④(ノートルダム大聖堂) [海外@ブルターニュ2013]
では、大聖堂の中に入ります。
入って振り向くと見えるのが西側正面扉口上部のステンドグラスです。
見事な薔薇窓になっています。薔薇窓は、西、南、北の3か所です。
↓下の画像は3枚になっていますが真ん中の画像(ボケています)以外はクリックすると大きくなります。
一番下は聖母子像なのですが、この部分は一般的にはタンパン(彫刻などの装飾)となっているところで
その部分もステンドグラスになっているのはランスの大聖堂の特徴のひとつとして挙げられところでしょう。
ステンドグラスも素晴らしいですがステンドグラスを囲むような人物の彫刻にも驚かされます。
身廊。
側廊~周歩廊。
南側扉口上のステンドグラスです。
一番上の薔薇窓は「復活(キリストのですね)」を描いたものとのこと。
下の部分はシャンパーニュのワイン(シャンパン?)造りの様子がステンドグラスに描かれています。
画像の一番左上に↓の説明版の左上の画像が見えます。
説明版です。
北側扉口の薔薇窓は「天地創造」。
その下には大パイプオルガンです。
ブルターニュ地方への旅 51・・・番外編 日帰りでランス③(ノートルダム大聖堂) [海外@ブルターニュ2013]
サン・ジャック教会を出て、トラムが走る道路を横断し少し歩き左側をみると
その先に目指す世界遺産のランスのノートルダム大聖堂が見えました。
左右対称の2本の塔を持つ荘厳な雰囲気の大聖堂です。(鐘楼の完成は1475年)
ランスの大聖堂は教会でもらったパンフレットによると
401年に聖ニケーズ司教により、聖母マリアに捧げられたのが始まりのようです。
現在の大聖堂は、1210年に火災で焼失した教会の代わりとして1211年に建築が開始されました。
第一次世界大戦では、1914年、ドイツ軍の空襲や爆撃を受けて彫像やステンドグラスの半数は
破壊されてしまったとのことです。その後20年間にわたって改修工事が行われたとか。
496年にランスの大司教聖レミがゲルマン人のフランク国王クロヴィス(フランス初代の王)に
洗礼をした場であり、816年ルイ1世~1825年のシャルル10世まで25人の国王たちの戴冠式が行われ
フランス王はランスで戴冠式を行わなければ、正式な王とはみなされなかったそうです。
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中央の扉口の上は「聖母戴冠」↓ 向って左側の扉口の上は「キリストの受難」
向って右側の扉口の上は「最後の審判」だそうです。
第三層の部分のアップです。(画像を差し替えたのでがついた画像をクリックしていただいた方が大きく見えます^^;)