情熱の国スペインの旅 52(第6日目⑤セビージャ市街) [海外@スペイン2017夏]
前回はここで終わっていました。
北海道旅行そして紫陽花、花菖蒲の記事が続き暫く間が空いてしまいましたが
スペイン旅行記の続きです。
前回はセビージャの大聖堂の見学を終えたところまででした。
セビージャの大聖堂を後にして、セビージャの町を散策しながら昼食のレストランへと向かいます。
セビージャの大聖堂を後にして、セビージャの町を散策しながら昼食のレストランへと向かいます。
町の所々にある噴水は南欧らしいですね。
夏は特に涼しげです。
夏は特に涼しげです。
情熱の国スペインの旅 51(第6日目④豪華絢爛大聖堂内部@セビージャ) [海外@スペイン2017夏]
セビージャの大聖堂は世界で3番目に大きな大聖堂とご紹介しましたが
一番目は当然って感じですがローマのサン・ピエトロ寺院、二番目はロンドンのセント・ポール寺院
そして三番目がセビージャ、四番目はミラノだそうです。
一番目は当然って感じですがローマのサン・ピエトロ寺院、二番目はロンドンのセント・ポール寺院
そして三番目がセビージャ、四番目はミラノだそうです。
1366年、セビージャを大地震が襲い、多くの建物が破壊され、大聖堂も大きな被害を受けました。
リスボンでも1755年に大きな地震がありましたし、ヨーロッパでも全く地震が無いわけではありません。
リスボンでも1755年に大きな地震がありましたし、ヨーロッパでも全く地震が無いわけではありません。
ただちに再建案が提出され、教会参事会は
「後世の人々が、我々が狂喜を発したと思うような巨大な大聖堂を建てよう」と決議をし、
1401年にモスクの土台の上にゴシック様式の大聖堂を建てる工事が開始され、
それから延々1世紀に亘って建築が続けられ、1519年に完成。
「後世の人々が、我々が狂喜を発したと思うような巨大な大聖堂を建てよう」と決議をし、
1401年にモスクの土台の上にゴシック様式の大聖堂を建てる工事が開始され、
それから延々1世紀に亘って建築が続けられ、1519年に完成。
現在モスクの名残を留めているのは、オレンジの木々(ナランホス)の中庭と
かつてミナレットであったヒラルダの塔だけだそうです。
かつてミナレットであったヒラルダの塔だけだそうです。
内陣です。
主祭壇の背後の衝立ですが、金メッキでイエス・キリストとマリアの生涯の浮彫りが施されています。
前半の部分だけで数百年掛かったとか。
主祭壇の背後の衝立ですが、金メッキでイエス・キリストとマリアの生涯の浮彫りが施されています。
前半の部分だけで数百年掛かったとか。
柵の幅が狭く、これが精一杯でした。
情熱の国スペインの旅 50(第6日目③大聖堂~塔からの眺め@セビージャ) [海外@スペイン2017夏]
ヒラルダの塔⇑
どちらかといったらキリスト教の鐘楼というよりもミナレットに近く
アラベスクの紋様が美しいです。
どちらかといったらキリスト教の鐘楼というよりもミナレットに近く
アラベスクの紋様が美しいです。
いよいよセビージャの大聖堂に入場です。
情熱の国スペインの旅 49(第6日目②黄金の塔~セビージャ大聖堂へ@セビージャ) [海外@スペイン2017夏]
スペイン広場を後にして、大聖堂の方へと移動です。
途中、バスの車窓↑からなのでかなりぶれぶれの写真になっていますが、
添乗員さんの説明によると小説カルメンの舞台となったタバコ工場。
現在はセビージャ大学の校舎として利用されています。
タバコ工場が大学の校舎にって日本では想像がつきませんが立派な建物です。
途中、バスの車窓↑からなのでかなりぶれぶれの写真になっていますが、
添乗員さんの説明によると小説カルメンの舞台となったタバコ工場。
現在はセビージャ大学の校舎として利用されています。
タバコ工場が大学の校舎にって日本では想像がつきませんが立派な建物です。
バスを降りて歩きます。
黄金の塔。
黄金の塔。
今は見る影もないですが、建設された13世紀には、塔の表面に黄色のタイルが張られていて
太陽の光を反射して、タイルが黄金色に輝いたことから名付けられたそうです。
太陽の光を反射して、タイルが黄金色に輝いたことから名付けられたそうです。
もともとはセビージャの街の城壁の延長に建てられた守備塔で
その後は監獄としても使われ、財宝蔵として使われたこともあったそうです。
観光地でよく見かけるこのバス、どこかで1回乗ってみたいです(笑)
情熱の国スペインの旅 48(第6日目①スペイン広場@セビージャ) [海外@スペイン2017夏]
コルドバのホテルの朝食
GWも今日で終了です。
皆様は如何お過ごしでしたでしょうか?
私はカレンダー通りで5月1日と2日は出勤でしたので、遠出はせず、
休みの日は普段できない庭仕事や掃除、衣服整理、片付けなどに勤しみました。
が、片付けは結局終了せず、持越しです(^^ゞ
皆様は如何お過ごしでしたでしょうか?
私はカレンダー通りで5月1日と2日は出勤でしたので、遠出はせず、
休みの日は普段できない庭仕事や掃除、衣服整理、片付けなどに勤しみました。
が、片付けは結局終了せず、持越しです(^^ゞ
スペイン旅行記、コルドバが終了し、次はセビージャです。
オペラ「セビリアの理髪師」が有名ですので、セビージャというよりもセビリアと言った方が
分かりやすいかもしれないですが、スペイン語の発音に近いのはセビージャとかセビーリャとか。
オペラ「セビリアの理髪師」が有名ですので、セビージャというよりもセビリアと言った方が
分かりやすいかもしれないですが、スペイン語の発音に近いのはセビージャとかセビーリャとか。
コルドバからバスで移動です。
車窓の風景です。
建ち並ぶ教会の鐘楼
一面ひまわり畑。
乾燥しているところなので荒涼とした風景も。
情熱の国スペインの旅 47(第5日目⑰コルドバその7) [海外@スペイン2017夏]
メスキータから再びローマ橋を渡り、バスに乗ってこの日のホテルに到着です。
ホテルは旧市街ではなく新市街にあるホテルでした。
ホテルは旧市街ではなく新市街にあるホテルでした。
都会的で綺麗なホテルでしたよ。
お部屋はこんな感じ。
水回りもすっきりと気持ちよかったです。
情熱の国スペインの旅 46(第5日目⑯旧市街散策@コルドバその6) [海外@スペイン2017夏]
メスキータの見学のあとは、コルドバの旧市街を少しばかり散策。
メスキータの北側には小さな小径が迷路のように入り組んだ地域があり、かつてユダヤ人街でした。
ところが、レコンキスタ終了後の1492年に布告されたユダヤ人追放令によって
ユダヤ人はこの町からいなくなってしまったそうです。
そのひとつ、花の小径。
白壁の街並みにお花の鉢が飾れています。
メスキータの北側には小さな小径が迷路のように入り組んだ地域があり、かつてユダヤ人街でした。
ところが、レコンキスタ終了後の1492年に布告されたユダヤ人追放令によって
ユダヤ人はこの町からいなくなってしまったそうです。
そのひとつ、花の小径。
白壁の街並みにお花の鉢が飾れています。
毎年5月コルドバでは、各家のパティオ(中庭)の美を競うお祭り「パティオ祭」が開催されます。
その時は観光客が溢れるそうですが、もしまたコルドバを訪れる機会があれば
パティオ祭りに合わせて行きたいものです。
その時は観光客が溢れるそうですが、もしまたコルドバを訪れる機会があれば
パティオ祭りに合わせて行きたいものです。
情熱の国スペインの旅 45(第5日目⑮メスキータ@コルドバその5) [海外@スペイン2017夏]
メスキータの最終回です。
その装飾に圧倒されっ放しだった大聖堂の部分を抜けると、
アル・マンスールによるメスキータの3度目の増築部分です。
この部分のアーチの縞々模様は、レンガと石の積み重ねではなく塗料で描かれたもの。
ただ、面積的には広大な拡張工事で、同時に中庭も拡張され、地下には貯水槽も造られたとか。
現在残されている部分だけでもその広さは相当なものでした。
現在残されている部分だけでもその広さは相当なものでした。
情熱の国スペインの旅 43(第5日目⑬メスキータ@コルドバその3) [海外@スペイン2017夏]
メスキータの続きです。
アブド・アッラフマーン1世が最初のモスクを建設したのが(786年~788年)。
その時には11の身廊が建設されたそうです。
その時には11の身廊が建設されたそうです。
アブド・アッラフマーン2世の時代に最初の拡張工事が行われ(833年~848年)
8つの身廊が追加され、その結果均整のとれた正方形の空間が形成されたとのこと。
8つの身廊が追加され、その結果均整のとれた正方形の空間が形成されたとのこと。