プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その16 (アヴィニョン②) [海外@南仏2010]
プティ・パレ美術館で絵画をたっぷりと堪能した後、同じ広場にある法王庁(教皇庁)宮殿に足を運びました。
アヴィニョンに滞在した以上は世界遺産にも登録されていますし、一応見学しておきたいところです。
ここは、14世紀(1334年~52年)にアヴィニョンの二人の教皇によってゴシック様式で建てられた宮殿です。
そういえば大昔^^世界史で「アヴィニョンの捕囚」とか「西方のバビロンの捕囚」という言葉を習ったような・・
記憶がある方も多いと思いますが、この宮殿が建てられた当時、教皇がローマからアヴィニョンに移っていました。
詳しくはウィキペディアでどうぞ→こちらです。
入場時にイヤホンガイドがもれなくついてきます(入場料含まれています)。
もちろん日本語もあるので問題はないのですが、ここはフランス革命時に、調度品や彫刻類、家具類は、
売り飛ばされたり、壊されたりし、その後兵舎として使われていたので、残念ながら中には殆ど残っていません。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その15 (アヴィニョン①) [海外@南仏2010]
*** ロシェ・ド・デン公園の方から見たノートルダム・デ・ドン大聖堂 ***
午前中のリュベロンの小村ツアーから
アヴィニョンに戻ってきた時
既に午後1時半を回っていました。
一旦ホテルに戻り、リル・シュル・ラ・ソルグの
マルシェで買った、イチジクとフーガス→こちら
で昼食。
アヴィニョンはその日が最後で、翌日は
エクス・アン・プロヴァンスに移動です。
アヴィニョンに宿泊していながら、法王庁も
サン・ベネゼ橋も遠くから眺めているだけ
だったので、昼食後、アヴィニョン市内へと
出かけて行きました。
町のあちらこちらかよ~く見えた
ノートルダム・デ・ドン大聖堂の
鐘楼の上の聖母像です。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その14(ゴルド&セナンク) [海外@南仏2010]
リル・シュル・ラ・ソルグ、フォンテーヌ・ド・ヴォークリューズを訪ねた後、このツアーの最終目的地であり
私が一番楽しみにしていたリュベロン地方へと向かいました。
途中いくつか村の通り過ぎていきましたが、村に入る前には必ず道路が山々になっていて、
必然的にスピードを落とすようになっています。日本でも住宅街でそのようになっているところがあります。
フランスはオープンカフェが多いですね。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その13(フォンテーヌ・ド・ヴォークリューズ) [海外@南仏2010]
リル・シュル・ラ・ソルグの町を後にして向かったのがソルグ川の源(地図はこちら)、ヴォークリューズの泉
「フォンテーヌ・ド・ヴォークリューズ」です。
人口は600人程の小さな村ですが、年間100万人以上の観光客をがやってくる人気の景勝地です。
広場となっているここで車を降りて
泉まで周囲の景色を楽しみながら散策。
プリトヴィツェ国立公園を思い出しました。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その12 (リル・シュル・ラ・ソルグ) [海外@南仏2010]
*** リル・シュル・ラ・ソルグの ノートルダム・デ・アンジュ教会***
アヴィニョン3日目です(^^ゞ
この日は姪っ子と一緒に『リュベロンの小村めぐり』と名付けられた半日ツアーに入りました。
前日のアルルのツアーと同じ会社がやっているツアーです。
車がなければなかなか行けないところを回ってくれます。
アヴィニヨンを出て、リル・シュル・ラ・ソルギュ(ソルグ)→フォンテンヌ・ド・ボークリューズ→
セナンク→ゴルドと回りました。
セナンクは地図には載っていませんが、ヴィラージュ・デ・ボリとゴルドの間の谷間にあります。
←アヴィニヨンです。
大きな地図で見る
最初に訪れたリル・シュル・ラ・ソルグは、アンティークと水車で知られている町です。
町の名前は“ソルグ川の島”という意味だそうで、次に訪れるヴォークリューズの泉から流れ出すソルグ川と
5つの支流に囲まれた町です。この日は丁度マルシェが立つ日曜日でした。
水車は、かつて織物業 が盛んだった時代の名残だそうです
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その11(ポン・デュ・ガール) [海外@南仏2010]
さてさて続きです!
アルルの町を後にして次に向かった最後の訪問先は、世界遺産の「ポン・デュ・ガール」です。
町を出る時に車窓から見た城壁の名残で、丸っこいのは「ムルグの塔」です。
アルルの町には城壁はここ以外にほとんど残っていないそうです。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その10 (アルル②) [海外@南仏2010]
アルルにはローマの遺跡とともにロマネスクの教会も世界遺産として一緒に登録されています。
聖人である聖トロフィムスの聖遺物(遺体)を、この教会に安置しなおそうという動きが持ち上がり、
ロマネスク様式の現在の教会の原型が造られたそうです。
そして12世紀に聖トロフィムスの聖遺物が移され、彼の名前に因んでサン・トロフィームと名づけられました。
正面の入り口のロマネスク様式のレリーフです。緻密で精巧、素晴らしいですね。
半円の部分には「最後の審判」をイメージした図が描かれていて、キリストの下部向かって左側には
天国へ昇って行く人が並び、右側には地獄に送られる人々が鎖につながれて火に焼かれている図だそうですが、
鎖につながれている様子は分かるのですが、火に焼かれているのはよくわかりません???
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その9 (アルル①) [海外@南仏2010]
アルルの町の地図を渡してくれ、簡単に観光のポイントを説明してくれました。
1箇所見学するなら、円形闘技場ということでしたが・・・・。
紀元前600年頃にギリシア人によってマッサリア(のちのマルセイユ)が建設されたのち、
紀元前2世紀にローマの進軍によって南仏全域がローマ帝国の支配下に入り、
各地にローマの都市が築かれました。南仏の至る所にローマの遺跡が残っているのはこのためです。
「プロヴァンス」の名も「ローマの属州(プロヴァンキア・ロマーナ)」から由来しているそうです。
アルルのローマ遺跡は世界遺産に登録されており、私はそのうち2箇所を見学しました。
解散となった場所から通りに出ると、丁度マルシェが開催されていました。
お昼を過ぎていたのでそろそろ店じまいの様子でしたが、私はここでパンを買い、
すぐ前にある公園でそそくさと食べ(写真も撮るのも忘れるほど)、観光へと急ぎました。
朝食をがっつり食べていたので、まだ余力十分でした
イベントがあったようで照明の装置でしょうか、その名残がありました。
現在は数本を残すのみになっています。
古代劇場は中には入場せず外から見学したのみで、柵のところから写真を撮りました(^^ゞ
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その8 (ドーデの風車小屋とゴッホの跳ね橋) [海外@南仏2010]
レ・ボー・ド・プロヴァンスからアルルに行く途中、フォンヴィエイユの丘の上にある風車小屋に立ち寄りました。
フォンヴィエイユは、アルフォンス・ドーデが書いた短編集「風車小屋だより」(内容はプロヴァンス人の生活の
悲喜こもごもを描いたもの)で有名になった村です。因みに、この風車小屋は小麦挽き使われていたものです。
フランスでこの短編集が発行されたのは1869年で、日本語訳は1932年(昭和7年ですね)発行され
一昔前までは、プロヴァンスと言えばこの本といわれるほどだったそうです。
旅行の前にピーター・メイルの「南仏プロヴァンスの12か月」は読んだのですが、この本は読んでおらず、
読んでいればこの風景を見てまた違った印象を受けたのではないかと思うと残念でなりません。
丘からの眺めはプロヴァンスらしいのでしょうね。たぶんドーデが描いた当時とほとんど変わっていないのでは
ないかと思われるような長閑な風景でした。
この短編集にはビゼーの曲で有名な戯曲の原作小説となった「アルルの女」も含まれているそうで、
ビゼーは知っていましたが、原作の小説のことは今回初めて知りました^^;
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その7 (レ・ボー・ド・プロヴァンス) [海外@南仏2010]
サン・レミ・ド・プロヴァンスをそそくさと後にし、サン・レミ・ド・プロヴァンスとアルルの
間にある自然の地形を利用し難攻不落といわれた城塞跡があるレ・ボー・ド・プロヴァンスへと
向かいました。
地図は→こちら
必ずあります。
まずは、村に入る前に城塞が見渡せるガイドさんお勧めのスポットで写真タイム
周辺に植えられているのはオリーブの木や、葡萄の木。葡萄が生っていました。ワイン用の葡萄?^^
ハーブが雑草に混じって生えています。左上がお料理にも使われるウイキョウです。
とてもいい香りがしました。瑠璃玉アザミが半ドライになっていました。
右側の列の2つは名前がわかりません。