京都で紅葉狩り@2010 その1 [京都]
某JR東海のCM「そうだ 京都、行こう。」に乗せられてではありませんが、紅葉狩りに京都へ行ってきました。
(あっ、南仏旅行の記事はまだ続きます(^^ゞ)
ここ数年京都の紅葉の見頃は11月下旬から12月上旬だったのでこの時期を選んだのですが、なんと今年は既に見頃のピークが訪れているとの情報で心配を抱えながらの上洛でした。
途中車窓から、雪を頂いた富士山が見事な姿を見せてくれました
時間節約のため、新幹線の中で少し早めのお昼ご飯です。
そうこうしているうちに京都駅に到着。やっぱり新幹線は早いです。駅は観光客でごった返していました。
山陰線に乗り換えて嵯峨嵐山へと向かいます。
ゴッホ展と国宝 源氏物語絵巻展 [美術鑑賞]
11月も終わりに近づき既に晩秋ですが、芸術の秋ということで、続けて2つの展覧会に行ってきました。
一つ目は六本木の新国立美術館で開催されているゴッホ展です。金曜日の夜間開館を利用しました。
作品はオランダのファン・ゴッホ美術館、クレラー・ミュラー美術館所蔵のものです。
ゴッホというとどちらかと言えば苦手な部類の画家だったのですが、南仏旅行を決めてからというもの、やはり気になる存在になりました。旅行を決めてから鑑賞した「ボストン美術館展」や「オルセー美術館展2010ポスト印象派」でもついつい目が向いていました。
そして実際にゴッホ由縁の地である南仏のアルルやサ・ンレミを訪れて、ゴッホ展を見たくなったというわけです。
今回の展覧会ではサブタイトルの「私はこうしてゴッホになった」のとおり、ゴッホがゴッホになるまでの過程が
6つのパートに分けられ、ゴッホの絵だけではなく、影響を受けた画家の絵も並べて展示されています。
Ⅰ.伝統-ファン・ゴッホに対する最初期の影響
この時期はバルビゾン派やフランスの写実主義、オランダのハーグ派の強い影響を受けていて
屋外や農村の風景の作品がほとんどでした。色使いも暗い感じです。
Ⅱ.若き芸術家の誕生
ゴッホはほとんど独学で絵画を学んだため、著名な画家たちの作品を模写することよって技巧を習得しました。
ミレーの素描を模写したものが展示されていましたが、試行錯誤していた様子が伝わってきます。
この頃は人物画に取り組んでいて、農民の頭部をよく描いていました。
展示されている作品の中では「白い帽子を被った女の頭部(ホルディーナ・デ・フィロート)」が印象的でした。
Ⅳ.パリのモダニズム
いわゆるゴッホのタッチが見られるようになりました。
気に入った絵は額縁も自分で作成していたそうで、現在も残っている数少ないもののひとつである
「マルメロ、レモン、なし、葡萄」の絵が展示されていましたが、その色から黄色い静物画と呼ばれています。
*この絵の絵葉書を買ったのですが、家に帰ってよーく見るとなんと絵とハガキの部分の向きが逆になっていました。
問い合わせると、気に入らない方はお送りしますとのこと。でも間違ったとは決して言いません。これから購入される方はチェックした方がいいかも^^
ここのコーナーには「オルセー美術館展2010ポスト印象派」でも見ていたシスレーとかスーラ、シニャックの絵も展示されていて、プチオルセー展ポスト印象派の雰囲気がありました。
またゴッホは浮世絵からも色彩、構図、トリミングなど強く影響を受けており、収集した浮世絵が展示されていました。
Ⅴ.真のモダン・アーティストの誕生―アルル
今回の展覧会の目玉の一つゴーギャンと共同生活をしていたアルルの部屋が実物大で再現されていました。
ゴーギャンの部屋はこの左隣りにあったそうです。
私が行った後すぐにサッカー日本代表の監督ザッケローニ監督がゴッホ展に行ったとのニュースをネットで見ました。
ここのパートに展示されている「緑の葡萄畑」が一番のお気に入りだったとか。ゴッホが生存している時に売れた唯一の絵だそうで、流石監督は審美眼が違うと記事には書いてありました。
Ⅵ.さらなる探究と様式の展開―サン・レミとオーヴェール・シュル・オワーズ
私が一番印象に残ったのは、やはりこの夏に訪れたということがあるからだとは思いますが、サン・レミの療養院の庭を描いたものでした。
特に左の療養院の絵は、訪れた時には時間がなくて入り口から覗いただけでしたが、雰囲気が滲み出ています。
附近の松林もこんな感じでした。きっとゴッホもあの附近を散歩していたと思うと感慨深いです。
サン・レミの記事はこちらです→http://fumi-kuwachan.blog.so-net.ne.jp/2010-09-20
(2010年11月19日)
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その22(エクス・アン・プロヴァンス⑤) [海外@南仏2010]
シルヴァカーヌ修道院から戻って来て、ミラボー通り沿いにある名物カフェ「レ・ドゥー・ギャルソン」で休憩。
ここはセザンヌも立ち寄ったカフェだそうです。1792と書いてありますが、きっと1792年に開業したのでしょう。
1792年というとなんとフランス革命の頃、もう200年以上も経っています。
日本では江戸時代ですが、日本風にいえば・・創業1792年の歴史ある老舗というところですね。
Aさんは、(私がフランス語が分からないので(-_-;))日本語に飢えているということにしてくれて私と日本語でおしゃべり、
Aさんの旦那様と姪っ子は姪っ子のフランス語の練習ということでフランス語でおしゃべりでした(笑)
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その21(シルヴァカーヌ修道院) [海外@南仏2010]
午後から前日会ってランチをした職場の元同僚のAさんの旦那様の車に乗せてもらって行った先は
プロヴァンスの三姉妹と呼ばれるシトー派の修道院のひとつ三女にあたるシルヴァカーヌ修道院でした。
三姉妹のうち次女にあたるセナンク修道院の記事はこちらです。
今回の旅行の計画している時にガイドブックを読んでいると必ずと言っていいほどコラム記事ででているのが
このプロヴァンスの三姉妹で、どれも大絶賛の嵐なのです。これは行ってみるしかありません。
ただ、もともと俗世間とは離れた場所に建てられた修道院なので、現在でも交通の便がいいとは言えない場所で
三姉妹のうちここシルヴァカーヌの修道院だけは公共の交通機関を利用してたどり着けるところにあるので
何としてでも行きたいところでした。
調べてみると、エクスから出ているバスは1日10便程で、約50分、バス停から約15分というところですので
1日かけて行くつもりだったのです。
ところが、Aさんの旦那様のおかげで思う存分見学しても2時間半程で往復することができました。
時間が限られている旅行者にとっては本当に助かりました。
場所はこちらです。↓
***追記**
シルヴァカーヌ修道院はラ・ロック・ダンテロンという町のはずれにあります。
バスを利用する場合はエクスからラ・ロック・ダンテロン行のバスに乗ります。
この修道院は教会の部分は12世紀、そのほかの部分は13世紀に建てられました。
入り口を入ると、聖堂はひんやりとした空気に包まれていました。装飾はほとんどありません。
正面の薔薇窓位しかありません。しかし、そこから差し込む光と影が美しさを醸し出しています。
修道士たちが自らの手で岩を切り出して積み上げ建築したものです。
今まで見てきた教会の回廊と比べるとあまりにも素朴で質素です。そこがシトー派の拘りなのでしょう。
その中に美しさが感じられます。
回廊に腰かけて少年たちは何を語り合っていたのでしょうか。
修道院の回廊は世俗から離れた修道士たちにとって外界と接することができる唯一の場所。
特別な場所であったことでしょう。
簡素さかがかえって印象的なレリーフ。
大寝室。修道士たちはここで着の身着のまま、板やわらを敷いて寝たそうです。
裏庭です。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その20(エクス・アン・プロヴァンス④) [海外@南仏2010]
朝焼けの東の空です。教会の鐘(たぶん見学したサン・ソヴール教会)の音も聞こえてきました。
日中は太陽の強い日差しが照りつけて気温も35度位になるのですが、朝晩は上着がないと寒いほどでした。
少し肌寒かったですが朝食は外で頂きました。パンが美味しいのでついつい食べ過ぎに^^
パンのお皿に載っている「nutella」は、姪っ子が教えてくれたフランスで今大人気という
チョコとヘーゼルナッツが混ぜ合わさったスプレッドです。味は・・・結構濃厚です。
もちろん味は全く違うのですが、小学校の頃の給食で出ていたチョコマーガリンを思い出してしまいました
食事を終える頃にはすっかりと晴れ上がっていました。 気持ちのよい青空です。
左の筒状のものは日除けで、日中には屋根のように広げられています。
エクス・アン・プロヴァンスで宿泊したホテルはこちらです。
温泉施設とリラクゼーションがウリのホテルでしたが、外に出てばかりで残念ながら利用せずでした
室内はスッキリとモダンな感じで、ここのホテルもバスとトイレが別だったので使い勝手が◎写している自分が鏡に(^^ゞ
トランクを広げられるスペースが十分にありましたし、お値段的にも納得のホテルでした。
この日の予定は、ある場所にバスの本数が少ないので1日掛けて出かける予定だったのですが、
前日友人に会った時に、そこなら車だったら20分位で行けるし、旦那様が午前中用事があって休暇を取って
いるから、もしよければ午後から車でどう?と誘ってくれたので、お言葉に甘えてちゃかりお世話になることに^^
というわけで、午前中はポッカリと予定が空いたので、市内をぶらつきながらお土産などを買い、
姪っ子が大好きなジャコメッティの作品があるというグラネ美術館に行くことにしました。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その19(エクス・アン・プロヴァンス③) [海外@南仏2010]
エクス・アン・プロヴァンスを語る上で忘れることができないのが、画家のセザンヌです。
セザンヌはエクスで生まれ、その生涯をこの地で終えました。
セザンヌが自ら設計し、晩年に使ったアトリエがはそのままの状態で残されているというので、
サン・ソヴール大聖堂を見学した後訪れました。旧市街から北の方へ坂道を登っていきます。
セザンヌがこのアトリエを建てた頃の写真を見ると、当時は周辺にアトリエ以外に目ぼしい建物はなかったのですが、
今ではすっかり住宅街となっています。約15分程で到着です。
アトリエの入り口ではがお休み中
内部は撮影禁止だったため、残念ながら画像はありません。
アトリエは自分で設計しただけあって、大きな絵でも2階にあるアトリエから直接外に出せるようにと
天井から床までの細長い戸が部屋の隅に設えてありました。
庭は木々が生い茂り、散策できるようになっています。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その18 (エクス・アン・プロヴァンス②) [海外@南仏2010]
Aさんは私の勤め先の元同僚で結婚して現在エクス・アン・プロヴァンスに住んでいます。
Aさんがいることも今回南仏を旅行しようと思ったきっかけのひとつでした。
はっきりと把握していませんでした
ホテルのロビーで待ち合わせることにし、待っているとAさんがやって来て、再会です。
エクスの街を散策しながらレストランへと向かいました。
その日は月曜日だったのですが、エクスでは月曜日がお休みのレストランが多いそうで、
レストランを選ぶのに苦労したみたいでした。アビニョンでは日曜日がお休みのところが多かったので、
フランスでは日曜日、月曜日は要注意です!
晩秋の装い@蓼科高原 [ドライブ]
11月3日は晴れの特異日と言われていますが、今年も関東甲信越地方では快晴となりました
蓼科で少しゆっくりしたいという両親のリクエストに応え、10月30~31日(送り)、11月3日(迎え)で
蓼科を往復しましたので、晩秋の蓼科高原の様子をお届けします。
3日は朝から青空が広がり絶好の行楽日和。
家を出てすぐ交通情報をラジオで聞くと、既に中央高速は調布から大月まで2時間半という凄い渋滞の模様。
停まっているよりも少しでも動いている方がと思い、渋滞情報がなかった関越で行くことが思い浮かびました。
なかなか使えるとの話を聞いていたので、これで思い切ることできました。
友人が言っていた通り、環八は少し滞ったもののこれならわざわざ環七を使う必要はないと感じる流れでした。
快適な走りとはなりませんでした。
プロヴァンス~コート・ダジュールでヴァカンス その17 (エクス・アン・プロヴァンス①) [海外@南仏2010]
アヴィニョンに3泊した後、次の目的地であるエクス・アン・プロヴァンス(エクス)に移動しました。
ホームで待っていると、私はもちろんチンプンカンプンでしたが^^、姪っ子が、私たちが乗る予定のTGVが
遅れて到着するとのアナウンスがあったと教えてくれました。
連絡バスに乗ります。今回の旅行のTGVのチケットは姪っ子がすべて取ってくれたのですが、
エクス行きのチケットは連絡バス付きのチケットで購入時にバスの時間の予約も済ませていたのです
ホームをあっち行ったりこっちへ行ったり、そのおかげで次のTGVに乗ることができました。
全席指定なのでどうなることかと思いましたが、当然ですよね。融通が利いてよかったです
ところが、エクスにはバスの発車予定時刻の少し前に到着したものの、
連絡バスの乗り場の表示が分かりにくくて、最初なんと逆方向のバス停に行ってしまったのです
振出しに戻りやっと正しいバス停を見つけてたどり着いた時には、既にバスの発車時間を過ぎてしまっていました。
にもかかわらずバスが停まっているではいるではないですか。ラッキー!と思ったら、乗客は私達だけでした(笑)
そんなこんなでようやく町に着いたものの、ホテルに行くまでのバスでもうひと波乱。
バスの路線図をみるとバス停はあるのに、そこに行くバスが全くないのです・・。
一体どういうことなのか???、後で気付いたのですがホテルに面している道路が一方通行で、
私たちが思っていた方向のバスの運行がなかったのです。
取り敢えず乗ったバスの親切な運転手さんのおかげで無事ホテルに到着することができました。。
かつてはエクスも城壁に囲まれた町だったそうですが、その名残はほとんどなく、わずかに残っている程度です↑